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入谷八幡神社打囃子・新井田館跡─震災3年半の南三陸

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3.11の東日本震災発生から三年半 南三陸の山あいの入谷にて

しだい
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豊作の田んぼの上に入谷八幡の御山
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まずは、参拝
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入谷八幡神社義経石清水八幡宮勧請伝承
「白鳳年間の創祀と伝ふ文治4年(1188年)源義経奥州に下りし時祈願成就の御礼として醍醐山鳳恩院に御使者を遣わし、男山八幡宮(京都の石清水八幡宮)より空海御自筆の額一面、金の幣三本、平安城の刀一振りを奉り長継坊萬福という僧御下向勧請したもので当時天正年中兵の為め焼失を恐れ辰巳の方に小社を建て百姓阿部と言ふもの一時移し奉り今ここを元八幡と云ふ。中古兵火のため焼失したが空海自筆額一面を存し霊元天皇寛文4辰年領主中村出雲社殿を造営社領を献じ後宝暦2年、法印興静社殿境内を修築、伊達家の尊崇篤く社領を献じ近隣郷の民噂崇の中心となり明治3年八幡神社と改称、」(宮城県神社庁HPより)明治の神仏分離までは八幡山長繋寺満福院という真言宗の寺院だったようです。
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晴天のもと、稔りの田んぼの中を、打囃子の行列がやってきました
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坂道を登って、もうすぐ八幡神社です。

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とってもきれいです

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打囃子がはじまりました。

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神事

 神は旅する

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神輿は仮設のところを通って御旅所に向かいます。

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                 八幡神の御旅所

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御旅所で神を待つ人々と大きな蚕神の石碑

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神輿の行列

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神事

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“天狗さん”と呼ばれていましたが、もしやサルタヒコさん?


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一本松の下 向かいは八幡神社の山です。爽快なひと時。
(google+)

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入谷の方が作る見事な衣装が何十年も引き継がれているとのことに感心。

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かんでいただいて めでたく祭り終了。

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                一本松の神の宿り

入谷打囃子 | 南三陸町観光協会公式ホームページ
入谷の祭りと打囃子(県指定・風俗習慣/民俗芸能 入谷) | 民俗文化財(無形) | 未来への遺産 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM

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史跡の宝庫 入谷(入谷公民館にて)



震災3年半目の南三陸

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本日は、ツール・ド・東北で自転車がいっぱい。
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新井田館跡
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 三陸の戦乱を物語る「土の城」 「中央区」建設ののための削平迫る。。。

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(発掘調査終了後の新井田館跡から志津川湾を見下ろす)
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(グーグルアース2014 3-4頃新井田館跡は赤いマーク左の土露出箇所)
    南北朝時代 志津川にそびえ、海上交通を抑える支配者の山城であったと思われる。
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同じくGA 館中央部 北から志津川湾方向
平場の周りは、すでに工事用道路に取り巻かれている。
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右側手が主郭(いわゆる本丸) りっばな掘立柱建物跡の柱穴が見える。
左は2郭(いわゆる二の丸)

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3月か4月ころのグーグルアースの写真
新井田館の麓の新井田地区はチリ地震津波でもこなかった「まさか」の大津波で、家々は流され、たくさんの死者がでた。今も家々の姿は無く、堤防工事が海から伸びてきつつある。

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その東端に位置する愛宕神社(“おあたごさん”と地元では呼ばれていました)が寂し気でした。
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クーグルアース2014 中央が愛宕社 左は新井田館跡 右は三陸道(工事中)


この後 
リアス・アーク美術館(気仙沼市)
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                (お勧めの展示図録)
3.11が蘇る
というか
気仙沼の被災状況が「遺物」とともに、心に訴えかけてくる。
多くの方に進めたい。(常設展)

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模型 気仙沼市から南三陸町方向

リアス・アーク美術館


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      (オクトパス様も鎮座する入谷八幡神社の朝)
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三陸の皆様 本日は旧交をあたためることができました。感謝でいっぱいです。
ご多幸をお祈りいたします。

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                    (志津川高野会館付近140914)
南三陸町を襲った大津波の証言


南三陸町 復興情報発信ブログ「南三陸なう」