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宮城県遺跡調査成果発表会─入の沢・熊の作・御駒堂遺跡ほか─東北古代史の発見

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宮城県の今年の発掘調査(宮城県考古学会 会場:東北歴史博物館)
入の沢遺跡(栗原市 築館バイパス建設工事)
4世紀、塀と大溝で囲まれた最北の拠点集落跡
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(グーグルアース 手前、高台の入の沢遺跡の上方に御駒堂遺跡の築館バイパス予定敷が見える)
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(出土珠文鏡の一つ)
出土鏡は、現説後調査の重圏文鏡出土で4枚となる。また、焼失竪穴住居が粘土ブロック層に覆われていたことから土屋根と推定されるということは新知見。
↓竪穴住居跡出土例
畏れと祈り 群馬の埋蔵文化財
重圏文鏡と珠文鏡の出土例 (小林三郎)
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入の沢遺跡現地説明会─4世紀、塀と大溝で囲まれた最北の拠点集落跡 - 縁果翁記

古墳時代の土屋根─あの金井東裏遺跡
金井東裏遺跡と渋川市の古墳時代


熊の作遺跡(山元町 常磐道建設工事)
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(グーグルアース 熊の作遺跡)
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(グーグルアース 低地部調査区 門跡が発見され「大領」墨書土器が出土した)
奈良・平安時代亘理郡衙長官(大領)に関わる遺跡とのこと→亘理郡衙の可能性
「まとめ
昨年までの調査では、2地点の中央部から低地部において門と塀で区画された古代の建物群を検出し、その近くで古代の郷(里)名である「坂本」と墨書された土器、郡外の人物の管理を示す信夫郡の人名が書かれた木簡などが見つかっていることから、奈良時代から平安時代にかけての官衙施設(役所)であることが想定されていました。
今年度ぱそれらの資料に加え、墨書土器の内容から、古代亘理郡の長官である「大領」と密接に関連する重要な言を遺鋩であることが明らかとなりました。
また、「子弟」の存在は郡司以外人物の政治的地位を示す資料として、良好な木製品は官衙で使われた当時の道具などの実態を知るうえで重要です。今後、木簡の解読等を進めていくことで、古代亘理郡についてのさらなる発見が期待されます。」(『平成26年度 宮城県遺跡調査成果発表会発表要旨』()は補)
・多量(約160点)の木製品 「笏状木製品」・檜扇・擦り簓(ささら)
奈良時代?の「笏状木製品」は矢の矯め具と推定とのこと。
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→現代の矢の矯め木(Flyfishing My Life フライフィッシング情報サイトより)
(↓ 参考記事)
「2006年2月20日から奥州市; 秋田県: 秋田市・秋田城跡(あきたじょうあと)で1989年出土の木製品は弓矢作りのとき竹をまっすぐに伸ばす「矯め具」。使用痕あり。 ... 秋田市教育委員会秋田城跡調査事務所・日野久所長「 秋田城での武器製造を裏付け」(「考古学のおやつ」より)
檜扇の出土も官人の持ち物として注目されます。
形をとどめた檜扇12個出土 平城宮跡 : 平城宮跡の散歩道
楽器とされた擦り簓(すりささら)も面白い
第6回青葉乃会 「自然居士」 : 能楽師・柴田稔 Blog
大日堂舞楽─養老礼祭 - 因縁果子

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「大領」墨書土器出土 宮城・山元熊の作遺跡 | 河北新報オンラインニュース
宮城県山元町熊の作遺跡・向山遺跡現地説明会 ( 歴史 ) - 虎箱! - Yahoo!ブログ
ヒント「大領と郡衙」●
新治郡衙跡 - 筑西市
●似ている遺跡
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ハローナビしずおか 静岡県観光情報/志太郡衙跡(国指定史跡)・志太郡衙跡資料館
国史跡志太郡衙跡|藤枝市

新潟県八幡林官衙遺跡(国史跡)

新中永窪(しんなかながくぼ)遺跡 山下館跡(山元町)
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新中永窪遺跡は常磐線建設工事、山下館跡は津波復興拠点整備事業関連(資料掲載のみ)
「まとめ
 新中永窪遺跡では、製鉄炉や木炭窯、須恵器窯など古代の生産遺構が多数見つかりました。これらは密集し、重複して作られているため、8世紀~9世紀初頭の間に須恵器や鉄の生産が盛んに行われていたことがうかがえます。また、「竪形炉」と呼ばれる製鉄炉や「横口付木炭窯」は、県内でも調査例の少ない構造のもので、良好な状態で発見されました。そして、これらの生産に携わった人々の住居や工房が隣接して見つかっており、古代の生産遺跡の様子を知る上でも大変貴重な発見となりました。
山元町の南に隣接する福島県相馬地方では、南相馬市横大道遺跡(国史跡)など大規模な古代の生産遺跡が見つかっています。新中永窪遺跡をはじめとする山元町の生産遺跡もそれらと密接な関わりがあったと考えられます。」(『平成26年度 宮城県遺跡調査成果発表会発表要旨』)
横大道製鉄遺跡現地説明会資料
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山下館跡・新中永窪遺跡現地説明会─山元町の歴史発見と復興 - 縁果翁記
↓関連するおすすめ本

律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

御駒堂(おこまどう)遺跡(栗原市 築館バイパス建設工事)
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(グーグルアース 左端道路敷きが調査中の御駒堂遺跡 その上端の小山の土色が入の沢遺跡)
奈良時代8世紀、関東からの大規模移民を示す重要遺跡
奈良時代前半の竪穴住居跡は5軒あり,いずれもカマドや土師器の特徴は関東地方と共通しています。土師器の細かな特徴は武蔵南部(現在の東京都)と似ており,同地域から直接的な移民のあったことを示すと考えられます。
奈良時代前半の移民の住居は,過去の調査成果を加えると30軒になり,遺跡内でまんべんなく発見されていることから,東西1,400m,南北400mの遺跡範囲全体につくられた可能性が高まりました。
奈良時代前半の律令国家の範囲は,太平洋側か大崎市,日本海側は山形県域とそこから秋田市にいたる海沿いの地域までで,栗原市域(のちの栗原郡域)はその外に位置していました。
御駒堂遺跡の発掘調査は,こうした地域に対して郡の成立以前に関東地方からの大規模な移民が行われたことを明らかにしており,国家がどのように支配を拡大していったのかを具体的に知る貴重な成果といえます。」(『平成26年度 宮城県遺跡調査成果発表会発表要旨』)

(以下、8.23現地説明会)
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関東風の住居と遺物が語る。
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炎天下、地元はじめ、たくさんの人々が集まった。

2012年の広報「くりはら」の記事とリンクする。
「○市内の文化財散策 御駒堂遺跡
志波姫地区に所在する「御駒堂遺跡」は、これまでの発掘調査により奈良時代の竪穴住居跡などが東西約1,400メートル、南北350メートルの範囲で発見されている集落遺跡です。
この遺跡の重要な点は、確認された竪穴住居跡の構造や出土する食器などの特徴が、東北地方で発見されているものとは異なっているところです。
同様の特徴を持つ竪穴住居跡や土器は、関東地方に見られます。生活習慣や日常道具が類似するということは、関東地方の人々が栗原地域にやってきたためと考えられています。
7世紀後半から8世紀前半に律令国家が東北地方を支配するために、関東地方の人々を移民させ、古代の栗原郡を造ろうとしたことを示す重要な証拠です。
しかし、この計画は途中で失敗したよう であり、栗原地域が律令国家の範囲に入り、古代の栗原郡が造られたのは、築館地区城生野に伊治 城が造営された767(神護景雲元)年ころです。この間、どのような出来事があったかはいまだ分 かっていませんが、「御駒堂遺跡」は、伊治城以前の栗原市の歴史や東北地方の歴史を考える上で 大変重要な遺跡です。
所在地 志波姫地区  問い合わせ先 教育部文化財保護課 電話42-3515」


内山遺跡─海を望む高台の縄文集落跡(女川町 被災市街地復興土地区画整理事業 資料掲載)
女川町内山遺跡復興調査・いのちの石碑 - 縁果翁記


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仙台城二の丸地区北方武家屋敷(学舎建設)
東北大学川内キャンパスの学舎の基礎間に二の丸の遺構が良好に残ってることが明らかになった。
また、北方武家屋敷跡の江戸時代の火山灰堆積の可能性がある事例が紹介され、八幡沖遺跡の事例ともリンクし、現代の防災とも関連する。今後、慎重な検討が進められている由、注目される。
仙台城跡二の丸北方武家屋敷第15地点の発掘成果公開 - 縁果翁記

八幡沖遺跡(多賀城市 被災市街地復興土地区画整理事業)
多賀城市いのちの碑・山元町の山から─震災三年七か月 - 縁果翁記
神社を囲む溝の年代は15世紀から江戸時代と訂正された。

多賀城跡87次調査(多賀城跡 調査研究)
南門の再調査が過去の調査成果が訂正された。
虎箱!さんのブログより
2014年11月09日の記事一覧 - 詳細表示 - Yahoo!ブログ

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宮城県考古学会-遺跡調査成果発表会
発表・資料掲載された遺跡は、まだまだたくさんあります。詳しくは『平成26年度 宮城県遺跡調査成果発表会発表要旨』(宮城県考古学会 1000円)をご覧ください
宮城県考古学会
古代木簡の研究 (日本史学研究叢書)
(今泉隆雄先生がご存命だったら、どんなことをおっしゃったのだろうか)

【感想】
全体としては復興に関連する調査がピークを迎え、多くを占めています。全国各地からの調査員の派遣支援により概ねスムーズに進められているようでなによりです。
そして、改めて、今回の発表の内容から入の沢遺跡、熊の作遺跡国史跡クラスの重要遺跡であり、10年に一度の大発見だと思いました。
復興や地域の活性化を図るために、地域の歴史文化遺産として、今後、両遺跡の保存と活用が役立つと思います。
ちなみに入の沢遺跡の古墳時代の集落跡はバイパス予定地にまるごとかかっていますが、奈良時代の郡の役所に関わる熊の作遺跡や関東移民の集落跡である御駒堂遺跡は鉄道・道路予定外に遺跡は広がっています。これらの調査成果は、熊の作遺跡に近接する新中永窪遺跡の製鉄炉や木炭窯、須恵器窯など古代の生産遺構と関連し、東北古代史上の大きな発見と考えられます。
また、仙台市文化財課から2015年3月14日に開催予定の防災世界会議において環太平洋津波災害痕跡シンポが開催されることになったとアピールがあった。宮城県考古学会が準備中と本日、表明された(仮称)『災害の考古学─震災を越えて』の作成刊行とともに有意義な企画。
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(グーグルアース ななめに走る土の帯が新常磐線予定地)
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(グーグルアース 調査地は中央の道路敷 長い丘陵全体がほぼ御駒堂遺跡)

4世紀から8世紀 古墳時代飛鳥時代奈良時代
は政権の力の増大に伴い、列島全体が大きく動き
「東北の苦難とそれに対するさまざまな生き方(様)の歴史の原点」のような時代であり、二つの遺跡をはじめ多くの遺跡が、その証だと思うようになりました。
平川南さんの名著の文脈からもわたしは、そう考えました。

東北「海道」の古代史

東北「海道」の古代史

1 東北「海道」の古代史(平川南) - JIEN記
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(仙台市パンフレット63集より)
国史跡の郡山遺跡(I期官衙は7世紀中頃から7世紀末にかけて造られた古代陸奥国の建国に関わった重要な城柵、、Ⅱ期官衙多賀城以前の陸奥国府)と隣接する長町駅東遺跡・西台畑遺跡の調査成果は、以上の事に大きくかかわるもので今後の調査成果の集約と公表が望まれます。
「長町駅東遺跡・西台畑遺跡からは、今年度成果を合わせて総数600軒以上の竪穴住居跡が発見されていて、そのほとんどが、郡山遺跡のI期官衙(役所)の年代よりもやや古い時期(7世紀前半)からH期官衙の機能が多賀城に移るまでの時期(8世紀初め)であることから、郡山遺官衙の西側一帯に、官衙の造営や運営に携わった人々の集落が広がっていたことが明らかになってきています。」(「西台畑遺跡」『平成26年度 宮城県遺跡調査成果発表会発表要旨』)


新聞報道がなく、今回の発表にない重要遺跡
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             (富沢館跡 グーグルアース2014.4or5月)
仙台市で最も保存のよい平地に築かれた城館である富沢館跡の中心部が区画整理事業に伴い発掘調査されました。
↓戦国時代に富沢地区を支配した領主の館跡で長大な土塁が地域の歴史を物語っています。
富沢館跡(仙台市)見学会─保存の良い中世の平地城館 - 縁果翁記
◎おすすめブログ
machafugu.com

付記
今年は復興関連調査など4世紀の入の沢遺跡から奈良・平安時代の熊の作遺跡、御駒堂遺跡など東北の古代を明らかにする極めて大きな調査成果があったことは、復興に際しての「東北人」のアイデンティテイを確認するための大きなプレゼントだと感慨を覚えます。。
そういえば、『宮城県史 第1 (古代史・中世史)は1957年というとても古い年代の刊行ですが、
復興関連調査で明らかになった「歴史」を含めて、そして「復興の歴史」を含めて、新『宮城県史』刊行構想も検討する段階に入りつつあるのではないだろうか(3.11 10周年の2021年くらいからどうだろうか)。
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(宮城県遺跡地図情報 大仏古墳群の北東側にある入の沢遺跡は築館バイパス建設に伴う分布調査によって発見されたためか、まだ表示されていない。さらに北東側の広範囲の遺跡は国史跡伊治城跡)
【参考】
東日本大震災からの復旧・復興における文化財保護
文化庁文化財部伝統文化課
(前略)
被災した各地で,復旧を求める地域の文化財は多くあり,生活再建がまず求められる困難な状況の中にあっても,復興のための重要な要素として文化財を位置づける地域もあります。
復興のまちづくりにおいて,移転予定地の開発と埋蔵文化財の保存等,生活再建と文化財保護の両立が課題となることがありますが,地域の文化財は地域コミュニティのシンボルとして地域の復興,再生に寄与する貴重な地域資源でもあり,復興計画策定に活用できるよう市民や行政の関連部局と情報を共有化し,発信していく必要があります。
 東日本大震災復興構想会議の提言(「復興への提言~悲惨のなかの希望~」)においても,「震災被害や住民避難等で維持が困難となった地域コミュニティの再生のため,文化財の修理・修復を進めることが必要であり,伝統的行事や方言の再興,保存,継承への支援を行うことが求められ,地元の歴史や文化を大切にし,文化遺産を承継することにより,地域のアイデンティティの保持を図ることが重要である」とあり,文化財保護は,被災地の復興に不可欠なものと位置づけられています。
 今後,さらに充実した文化財保護の枠組みを構築するために,大規模な自然災害等の緊急時に備え,より総合的で効果的な文化財保護のための体制を整備するなどの課題に取り組む必要があります。」(『文化庁月報】 平成24年6月号(No.525))