東松島市宮戸島の防潮堤予定地にかかる「江ノ浜貝塚」発掘調査で9世紀半ばから後半の製塩炉跡(4ヶ所)を発見。豊富な出土品等から平安時代松島湾製塩の中核であり、国府多賀城の官営製塩施設と考えられるとのこと。現地説明会は、奥松島縄文村歴史資料館長の詳しくも分かりやすい説明でした。
立地 旧防潮堤の外側の新防潮堤基礎部分を調査している。
2号製塩炉(凝灰岩による石組炉)
1号製塩炉「漆喰状の練り物炉」
平安時代の汀線はもう少し後退していたという。
製塩土器 薄手(小型)・厚手(大型・漆喰状付着物有)、支脚
厚手(大型)は東側入江斜面、薄手(小型)は微高地から西側入江に集中しており、前者から後者への作業工程を示す可能性もあるとのこと。
驚いたのは、炉周辺の土からウズマキゴカイが多量に検出されたことから、アマモ(藻塩草)を焼き藻灰による製塩がされていたと推定されるとのこと(説明会資料によると阿部芳郎氏の教示)。
ウズマキゴカイのなかま
海水中で生育する種子植物・アマモ
アカモクでなかったか。
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石帯や卜骨、「家」の墨書土器の出土から多賀城の官人が来ていたと考えられ、松島湾製塩の中核的な施設であると推定されるとのこと。江戸時代の絵図によると、この場所は「家ノ浜」と記されており、その「家」と墨書が一致するとのこと。
馬骨(右上)の出土から、ウマも来ているのではないかとのこと。
年代の根拠となった土師器、須恵器、フイゴの羽口(右端)など
生活道具の出土から、一定期間の滞在も推定される。
ソケット式釣針に感心。
「海岸から打ち上げられた貝層」が9世紀後半の面を覆っており、貞観津波、高潮などによる可能性があるとの説明は、注目されます。
説明パネル(調査区)
西部(手前)では、古墳時代の層もあるとのことです。
説明パネル(製塩遺跡分布図) 江ノ浜貝塚は右側中央辺。
(Google earth)
一帯は、未だ東日本大震災の被災痕を残すところがあります。
そばの沼からサギ?が飛び立ちました。
防潮堤ができあがっているところもあります。
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