「講座東北の歴史 第6巻 生と死」刊行に寄せて─南三陸からの提言

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「講座 東北の歴史」(清文堂)の第6巻がようやく刊行された。
「通史的には、墓を居住空間に取り込み、死者との交流が顕著な縄文世界と次代の稲作農耕社会において墓を居住空間から分離した弥生文化が前提としてある。本書では、仏教的葬送の導入以前の、政治的秩序を表す「前方後円墳の時代」と導入後の「仏の供養」を極楽往生のシステムとする階層がしだいに下降していく古代から中世、幕藩体制の身分秩序と実態が葬送習俗に強い影響を及ぼしている近世、葬送習俗の合理化が進められる近代、さらに葬儀の個性化や簡素化の二極化が進む現代というように、「死の受容の在り方」については、外来からの衝撃を画期とする文化的な流れがみられる。このような文化的な波を北方に押し広げる拠点的地域となることの多かったのが南東北であり、北東北との相対的な差異を産み出している。関連する第七巻(近刊)の「信仰と芸能」を併せ読んでいただくと東北の歴史の中での「死」の位相が一層明らかとなろう。
そして、2011年3月11日に発生した東日本大震災が東北の地にもたらした膨大な死者と残された人々の深い悲しみは、新たな「死者との結びつきの在り方」を問うこととなった。」(はじめに「死」より)
目次
東北の古墳と葬送……東北大学 藤沢 敦
率都婆 ―中世人の死生救済祈願― ……地底の森ミュージアム前館長 田中則和
大名の死をめぐる頭髪規制の展開 ―月代に関する町役人の願書から― ……東北大学 中川 学
クリスチャンの「祖先祭祀」……待井扶美子
東北地方の「骨葬」習俗……東北大学 鈴木岩弓
誰が戦死者を祀るのか ―戊辰戦争西南戦争・対外戦争(戦闘)の戦死者供養と祭祀― ……仙台市歴史民俗資料館 佐藤雅也
「死」を表す言葉と発想の地域差……和歌山大学 澤村美幸
清文堂出版:新刊のご案内

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(何度も津波が襲来した南三陸町戸倉波伝谷の朝。中世の板碑から昭和の津波記念碑に至る4基の石碑は津波で流出し浜に台座のみを残すのみ。石碑については、後述。)
ここには、「東北史における浜の役割」といった視点はない。それでも「東北」を視座とした震災前の研究者の成果が結集していることは確かである。ただ、やはり、そろそろ、東日本大震災を踏まえた「東北の歴史」刊行の企画を期待したい。そのための提言を少し述べます。
まず、回り道ですが筆者の今年の活動の中で印象的な風景を紹介いたします。上の写真の台座にはめ込まれていた石碑を紹介いたします。筆者の拓本によって明瞭にその姿を現しました。
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津波で流され、引き寄せられた「秋葉大権現」(天明二年 1782年)
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津波やさまざまなダメージを全身に刻んだ庚申塔(明和元年 1764) 下記のものを含め拓本をとらせていただき浜の方に贈呈いたしました。)

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こちらも、引上げられた応安五年(1372)種字バン(大日如来)の板碑。
津波はもとより640年のダメージでとろとろ。

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おしまいは、昭和8年の津波記念碑なのですが、裏面です。表面もとりたかったのですが、ひっくり返すことができず、うまくいきませんでした。
これらの四基の石碑だけでも、南北朝期、江戸時代、昭和の南三陸の人々の歴史を秘めています。それぞれの時代の地域の石工など名もなき人々のネットワークの「祈願」が独特の文字のスタイルや碑文構成で表現されており、それが拓本により鮮明に現われることに感銘を覚えました。
各所に埋もれ「ただの石化」している中近世の石碑は市町村史に掲載されていますが通史とは別になっており、「歴史化」されておらず、歴史学細別化の弊害とはいえ研究者のはしくれとしては反省大なるものがあります。
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現在は、「歴史文化遺産」と「復興」は、対置したした形でとらえられがちですが、これらの歴史遺産を長い年月にわたって保護してきたのは、南三陸の人々自身です。まさに「歴史文化遺産」は、地域が主体になって認めていくものだと思います。地元の方から再び立て直す安全な場所を捜しているところですとお聞きしました。復興途上でありながら、「歴史文化遺産」を守り続ける浜の人々に敬服するとともに、微力ながら支援いたします。
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このことを踏まえて、新『東北の歴史』刊行提案に戻りますと、震災発生の2011年に山内明美氏が『こども東北学』を刊行して「東北ってなんだ」と発したように、このような根源的な問いから「東北の歴史」を組みなおす必要があると思います。
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そして2012年に刊行された平川南氏の『東北「海道」の古代史』(岩波書店)のように明確な「海道」の視点が必要だと思います。もちろん、中世から現代を通して試みることによって「東北ってなんだ」が見えてくると思います。

1 東北「海道」の古代史(平川南) - JIEN記

その延長から見えてくるのは、1500年にわたる政権による「東北」掌握と「利用」です。平泉藤原氏の東北の実効支配と文化もその中で特異な意味を持つように思えます。
「東北」だけを見つめるのではなく、日本列島を遊動するはるかな旧石器時代から、「王権」誕生から「辺境」獲得・利用への過程といった関係性の把握や大きな視点が必要になってくると思います。
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そのような方向性は、『「生存」の東北史』(2013年 大月書店)において川島秀一氏が「三陸の歴史と津波─海と人のとのつながり─」と題して近世における紀州との交流(カツオの一本釣り)を描いていることなど新たな学問的構築が一部、一般化されつつあります。
今回のシリーズの表紙に立派な縄文土器が載っていても論文はありません。震災後、相原淳一氏などの研究により、縄文時代の画期 縄文から弥生の過渡期に巨大地震津波が関わる可能性が指摘されています。
相原淳一「縄文時代の自然災害」2012

宮城県における歴史地震・津波災害─宮城県考古学会 - JIEN記
震災以後生まれた様々な視点を活かして「東北」を時代(旧石器時代から現代)と地域そして「技術」、人の動きなどから探究すれば新たな「東北史」が語られてくるのではないでしょうか(130926 追記・病み上がり)。