慶長津波伝承地行─南三陸町入谷

入谷地区において慶長地震津波の可能性ある場所を地元の方の案内で歩きました。今回はそのあらましで、探求が不十分のため今後、随時補正の予定です。
f:id:tentijin8:20140531105638j:plain5月3日に「『歴史の標』(志津川町1991)によると入谷村に居住していた「伊藤(慶長末年大槻氏に改め)清右衛門祐次」が入谷村に居住していた時「慶長十六年十月に海水があふれて溺死、この時、武具や系譜を失った」ことを伝えるとあることは、慶長16年10月に津波があったこと及びその遡上域について重要な情報である。」と書いた。
南三陸町水戸辺川流域の「慶長大津波」伝承地踏査─『戸倉路のつたえ-語り継ぐ津波の道標-』に寄せて - 縁果翁記
その場所について地元の方に案内していただいた(位置写真地図google・ゼンリン)

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入谷押館にある「伊藤家」の屋敷跡とされた一段下の一角に、祠が残る畑があって、最初の屋敷はそこではないかという。近年の開発で今は削られているが、その先の谷をおりれば秋目川という。
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秋目川の今回の津波瓦礫が押し寄せた最終地点。
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慶長津波被災伊藤家の可能性ある地点(押館)と3.11津波のがれき到達最終地点(地元の方の教示 秋目川)。

次は、慶長とは書いてないが、前回紹介した『入谷物語』の「古人屋敷」の「舟河原屋敷 昔津波が襲って来た時、ここまで舟が上がったのでこの名がつけられた」というところから海の方を見た写真。
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この舟河原は東日本大震災津波浸水域の八幡川到達地点のさらに約4km上流に位置している(引用した『東日本大震災津波詳細地図』範囲外となる)。

東日本大震災津波詳細地図〈上巻〉青森・岩手・宮城

東日本大震災津波詳細地図〈上巻〉青森・岩手・宮城

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(「上砂屋敷略位置」)
また、同じく『入谷物語』の「古人屋敷」の「上砂屋敷 ここは大昔津波のあった時、砂が押し上げられたのでこう名づけられた」は、ここから八幡川沿いに約1.1km下ったところにある。

次に同じく「古人屋敷」の「残谷屋敷 昔津波のあった時 近くまで水が押し寄せてきたが、ここまでは水が入らなかったので村人も旅人も命が助かったのでこういわれたとのことである。」
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入谷山の神平にあり、なぜか 津波から助かった歓びが満ちてくる眺めの良い美しいところでした。
ご案内いただきました地元の皆様まことに有難うございました(田中則和)。