(左、鏡が出土した竪穴住居跡 右手は集落を囲む大溝)
宮城県栗原市城生野(じょうの)にある入の沢(いりのさわ)遺跡。築館バイパス建設事業に関わる発掘調査(担当:宮城県教育委員会文化財保護課)で鏡、鉄製品、玉類など多種多様な当時の一級品を所有する古墳時代前期拠点集落。
いわば4世紀ヤマト文化が北方文化と接する北辺防御集落のタイムカプセルだ。
(竪穴住居跡出土珠文鏡)
(鏡が出土した焼失竪穴住居)
(土師器出土のようす ※竪穴住居の一画を上から見ている)
器台の上に小型の壺 置かれた器が倒れたままの状態で出土!
入の沢遺跡は標高49mの山の上にある古墳時代前期などの集落(49軒の竪穴住居跡が確認され、今回調査した17軒のうち前期は12軒)。
この時期の大規模集落跡として北限とのこと。
大溝(最大幅4m 最大深さ1.5m)で囲まれた防御性の強さが印象的。
塀 人物の脇の棒の高さと推定
古墳に副葬するような遺物の数々が焼失住居などから出土した。
遺構に伴う銅鏡は国内最北とのことで話題を呼んだ。
鉄製やりがんな・斧
装飾のある口縁破片のこの大きさ! 巨大な壺が存在した。
(垂飾品 ケースにピント....)
●いわゆる「琴柱形石製品」(ことじがたせきせいひん)
「琴の弦を支える琴柱に似ている石製品。古墳から出土するものが多く,地域としては近畿地方が多い。主として碧玉製であるが,滑石製もあり,4~5世紀に盛行した。用途については明らかではない。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)」
美しいガラス玉→首飾り 分析が待たれる。
遺跡位置(グーグルアース)
隣接して大仏古墳群があり、関連性が注目されています。
大仏古墳群:遺跡ウォーカー
近年の発掘の大発見とのことで朝から多くの人々か、ぬかるみの坂を登りました。
説明会資料のまとめには「この地域を治めた有力な集団によって営まれた拠点的な集落」とあります。
それにしても、火災住居跡の多さ 四世紀における緊張状態とは。。。争い!?。
ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀 (新人物文庫)
シートの下でもたくさんの竪穴住居跡が確認されたとのこと(来年度調査予定のA区)
【参考文献】
宮城県教育委員会 2014年 「栗原市入の沢遺跡平成26年度発掘調査現地説明会資料」
(驚きました! マルチコプターによる空からの遺跡)
1600年前、古墳時代初めの東北の姿を知ることができる重要な遺跡であることがわかりました。
道路はトンネルにして、古墳と併せて一帯を古墳歴史公園として地域の活性化にも役立つというのが夢です。近くの国史跡伊治城跡からの回遊コースにもなります。
“地元のNPOが歴史公園を運営 道には地産の屋台が並ぶ”などと夢が広がります。。
伊治城跡 文化遺産オンライン
伊治城跡H16
伊治城跡H24
Google マップ
◎おすすめリンク
国内最北の銅鏡出土 栗原・入の沢遺跡 | 河北新報オンラインニュース
【4世紀の大溝で囲まれた集落】入の沢遺跡現地説明会 ( 歴史 ) - 虎箱! - Yahoo!ブログ
古墳時代前期の銅鏡、今までの北限を更新して宮城・栗原の「入の沢遺跡」で出土 - ぶっちゃけ古事記
【参考】
最北の破鏡
●経過
入の沢遺跡の保存と活用に関する要望書(日本考古学協会)と歴史公園整備への提言 - 縁果翁記
入の沢遺跡─南北文化のクロスロード─保存要望書(宮城県考古学会)と提言+高尾山古墳 - 縁果翁記