『富沢遺跡 東北の旧石器野営跡と湿地林環境』

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富沢遺跡: 東北の旧石器野営跡と湿地林環境 (日本の遺跡)
S様 関係者の皆様『富沢遺跡 東北の旧石器野営跡と湿地林環境』
刊行おめでとうございます。
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(細野修一復元画 地底の森ミュージアム常設展示)
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富沢遺跡(仙台市太白区長町南) ※1988年 30次調査成果について
「(富沢遺跡は)旧石器時代の一般的な遺跡立地とは異なる湿地林跡における野営跡の調査成果をもとに、復元画の製作・公表とともに、地底の森ミュージアムにおける遺跡の保存・公開、復元林の野外展示などの活動によって、人類と環境を考える視点を現代社会に伝えている。
(1) 自然環境と人類の活動痕跡:これまでの調査で湿地林跡は遺跡北西部の10数箇所で検出され、その面積は約10haに及ぶ。湿性な環境は、人類の長期的な居住に適していないが、1地点でだけ検出された野営跡は、当時の活動範囲を示す明確な痕跡である。
(2) 復元された湿地林:高木の主体が常緑性のトウヒ属と落葉性のカラマツ属(グイマツ)で、現在のサハリン南部から北海道北部の湿地林と類似しており、各種分析・同定を通して、当時の自然環境は、年平均気温で7~8度低い亜寒帯性の気候が推定された。
(3) 復元された人類の活動:野営跡では70×80cm程の炭化物片集中箇所(焚き火跡)と、それを半径2.5m程で半円形に取り巻くように100点ほどの石器が出土した。折れたナイフ形石器2点が残され、石器製作が行われていることから、装備の更新が推定された。
(4) 復元画の製作・公表:発掘された具体的な資料をもとに、湿地林のなかでの野営や、狩猟の様子など、旧石器人の行動を想定した復元画を適時製作し、公表してきた(絵:細野修一)。
(5)遺跡の保存・公開:特殊な建築設計・保存処理技術により、地底の森ミュージアム地下展示室で、湿地林跡と野営跡を発掘されたままの状態で公開している)。
(斎野裕彦 下記「日本旧石器学会HP」より)
富沢遺跡(日本旧石器学会)
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(地底の森ミュージアムへどうぞ)

「(前略)そこで最初に思ったのは、わかりやすく伝えるのに、絵描きの細野修一さんと新たな復元團をつくりたいということだった。しかし、その元となる原稿がなかなか進まないなかで、二〇一二年の夏、細野さんが他界してしまう。細野さんとは個人的にも親しい付き合いがあったので、残念で仕方がなかった。そんな折、地底の森ミュージアムで、細野さんの追悼展が開かれて、東京から奥さまの○○さんや、細野さんの友人の方々がおいでになった。いっしょに展示を見ながらさまざまなイラストや復元画などと「再会」し、復元画の成長を共有したことが、書き進めるきっかけとなった。それから数年、紆余曲折を経て、ようやく書き上げることができた。一読して、さっそくスケッチを始めながら、静かにアイデアを話しかけてくる細野さんの姿が目に浮かぶ。叶わぬ夢とはなったが、その新たな復元画は、読者の方々の創造に委ねることにしよう。」
(「あとがき」より)
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(細野修一復元原画展 2012)細野修一イラストレーション
仙台市 地底の森ミュージアム仙台市 地底の森ミュージアム
富沢遺跡・仙台の遺跡
◎提言 世界的な大発見─2万年前のキャンプ跡と湿地林跡─を「史跡」に

地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)といえぱ、「それでも生きる! 考古学からみる災害のあと」(2011年)が秀逸だった。ぜひ、パート2を(本日の河北新報を見て)

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