松島雄島・金剛舎利石塔─600年前の願い─大晦日に

貞和五(1349)年「一結徒衆」板碑
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宮城県松島町雄島に立つ高さ2.4mの南北朝時代の石塔(板碑 図は合成写真)。
全身コケだらけのため、気に留める人はほとんどいない。

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こちらは同じものを、色を除去した写真。釈迦如来のシンボル(梵字)が鮮やかに見える。

そして 実は願いの文がぎっちりと刻んであります。
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(画像処理写真)
簡単にいいますと
「お釈迦様の仏舎利である「金剛舎利」(お骨)の法会を毎日行い、浄土に行くことと、それぞれの家の繁栄を願ったあります。」
「金剛舎利」とは、現在も瑞巌寺(当時は円福寺)で所蔵する水晶製五輪塔に納められている「舎利」と考えられています。
その下に
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(合成ゆがみ修正写真)
お坊さんと法会参加者の名前がびっちりと刻んであります。
その数、なんと145人(『松島町史 資料編1)
「安藤太郎妻 尼妙善 真光妻 阿弥陀仏 孫六妻....」と女の人の名前が多いのです。
これらの人々は安藤氏など牡鹿半島の海の武士団、 だけでなく海の民と考えられています。
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                                                                                              (『松島町史 資料編1)
すごいでしょ!


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実は、背面にも、江戸時代の人が刻んだ文字が全面に刻まれています。


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松島の誇る歴史文化遺産 雄島(南北朝時代は「御島」)


では、本年はご愛読していただき誠に有難うございました。
よいお年をお迎えください。