石巻市鹿又土手前にある「北上川自然堤防の板碑」へ。
りっぱな鎌倉時代の板碑であり、現在もお祀りされているようである。文化財としては登録や指定はされていないことに驚く。
『河南町の板碑』(2015年)をまとめられた佐藤雄一先生は自然堤防の板碑の例をあげ、注目すべき板碑として原位置の可能性ありとする。
土手の塚状の盛り上がりの上にあり、緩い斜面には大石3個も配置されている。川村孫兵衛による近世の築堤工事(「川除け土手」)で知られる一帯なので、近世にかさ上げ(右の2基は銘文が地中に続くので)された可能性もある。あるいは、中世時期の自然堤防に立っていた板碑を工事の際に動かさざるを得ないものの、丁重に移設して下部工事をしている可能性もある。この自然堤防は赤色立体地図では長さ600m、幅300m程度であり、現地はその南端にあたるので、板碑の立地パターンからみて、その場合も近くからの移動と考えられる。
この鹿又地区では旧河南町では最も多い60基の板碑が分布しており、『河南町史』(2005年)によれば領主の山内首藤家文書にみえる元亨四年(1324)三月二十九日付けに「みちのくにもんのうのこおり かのまたの...」の「かのまた」に相当するとされており、山内首藤氏が力を注いだ地域である。周囲の耕地開発に際しての居住する拠点は自然堤防上と考えられ、先の文書から鎌倉時代の集落の存在が推定される。
現在の「北上川自然堤防の板碑」の整った姿は中世の先人の姿を大事にしてきた近世、近代の保護の結果でもある。
中央の板碑には不動明王の梵字を刻み、亡くなった人の霊が極楽に往生しますように と祈願しています。
左側の板碑には、中央の板碑と同じく不動明王の梵字を刻みこの(石塔婆を)造立する趣旨は亡き父の霊が極楽に往生することを願うためであると刻んでいます。
右側の板碑には金剛界大日如来の梵字を刻んでいます。中央の板碑の翌年の造立です。
いずれにしても地域の中世から近世の歴史を伝えるりっぱな歴史文化遺産です。
心配なことに周辺は堤防沿いの大規模な工事が進められています。
現地保存がベストであり、どうしても困難な場合は、万全な発掘調査が必要と考えます。
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(以上2023.4.9改訂)
●哀悼 坂本龍一さん●
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