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…1 大江健三郎 『晩年様式集』 「(前略) 私のなかで 母親の言葉が、 はじめて 謎でなくなる。 小さなものらに、老人は答えたい、 私は生きなおすことができない。しかし 私らは生きなおすことができる。」Amazon.co.jp: 晩年様式集 イン・レイト・スタイル: 大江 健三郎: 本2 『市史せんだいvol.23 特集 歴史地震・津波を再考察する』 「・研究時評 慶長地震の評価をめぐって 菅野正道 ・論文 貞観十一年陸奥国震災記事と自然災害痕跡研究 斎野裕彦」が注目される。
…・松本秀明東北学院大学教授) 「東日本大震災の津波堆積物と、その下層に過去(貞観・慶長)の津波堆積物の可能性がある砂層2層を同時に発見(岩沼市HPより) 4層が慶長16年(1611)地震津波の堆積物と推定される層。6層の灰白色の層は十和田a火山灰(10世紀前半)。8層は貞観11年(869)の津波堆積層と推定される層。 岩沼市の教育長さんからは、今後、この発掘調査成果を防災・減災資料として後世に伝え、活用するとの表明があり、有意義な遺跡説明会であった。 高大瀬遺跡現地説明会資料
…います。 3.11大津波の前には、家々が並んでいました。 奉納された雄勝法印神楽 おしまいの「産屋」の頃は、風雨でしたが、地元の赤ちゃんともども見事でした。次第 祭りの前 右手の雄勝小学校跡地にテトラポット群 神社から海の方を見る。一帯の被災建物、瓦礫はかたずけられている。 神事 胴ばやし獅子舞 雄勝小学校生の「初矢」ういういし 雄勝中学校生の「初矢」 巨大テトラポット群の前の子がお兄ちゃんの舞を見つめる。 神楽団の「道祖」 岩戸開き アマテラスオオミカミサマはテトラポットを…
…からも保存・祈りの場へに向けての具体案が出てこないのは残念でした。 南三陸町防災対策庁舎(2013.9.12) その右は、地元企業から保存が表明されている高野会館 最上階に避難して多くの人が津波から救われた。例えば、最上階を展望レストラン化して経費を維持し、「不幸中の幸い」を子々孫々まで「体感」できる施設となってほしいと願う。南三陸町を襲った大津波の証言「高野会館」保存へ・日本経済新聞震災遺構─南三陸町防災対策庁舎保存 - JIEN記梅雨の志津川─防災対策庁舎跡 - 縁果翁記
…刊のご案内 (何度も津波が襲来した南三陸町戸倉波伝谷の朝。中世の板碑から昭和の津波記念碑に至る4基の石碑は津波で流出し浜に台座のみを残すのみ。石碑については、後述。) ここには、「東北史における浜の役割」といった視点はない。それでも「東北」を視座とした震災前の研究者の成果が結集していることは確かである。ただ、やはり、そろそろ、東日本大震災を踏まえた「東北の歴史」刊行の企画を期待したい。そのための提言を少し述べます。 まず、回り道ですが筆者の今年の活動の中で印象的な風景を紹介い…
大震災発生から2年半 南三陸町陸前戸倉駅(気仙沼線)からバスが゛発車していました。 本日、住宅が立ち並んでいた天王前地区はコスモスやたくさんの草花で埋もれておりました。 仮設にもコスモスが咲いて、かっての町並みの跡を見下ろしています。 志津川 (陸前戸倉駅) (天王前地区) 荒砥 丘の上の全慶寺から港を望む 津波は寺にまで達したという。 さらに高いところにある愛宕神社 草が生い茂り、復興未だならずの感、強し。
南三陸の山裾にある江戸時代から明治にかけての墓地 未だ手向けなく..合掌 明日は来てくれるかな(おほとけさま) 山をおりると鬱蒼とした野原(ここは津波で流された住居地区です) そうだ! 夕陽と回復しつつある実りを、手向けとす。
大石の上に草がはえてきました(天王前) (入谷八幡神社オクトパス君) 入谷地区は津波のたびに「炊き出し」地区として南三陸を支えています。 浜では、堤防建設が進められていますが、一帯はいまだ海水に満たされています。 陸前戸倉駅の完成も近いようです。 所有者より保存が表明された高野会館 高野会館保存(日本経済新聞) 清水駅 遠くに、くすし神社が見えます。一帯はなにもなくなったままです。 そこから浜の方を望む。 歎きは続き 海は美し
…(天王前) チリ地震津波でも達しなかった大津波がたくさんの人の命を奪いました。合掌 お愛宕さんの登り口は津波でえぐられ、旗立ては曲がり草に埋もれました。 近づくと、奉納碑が残っていました。その方たちの住まいはありません。寂しいです。 かっては、この急斜面を綱を握りしめて登った善男善女がいたのです。 ふもとのお祭りは賑やかだったとの地元の方のお話でした。 愛宕神社に参拝して東を見ると山城の発掘中です(立ち入り禁止)。 この地は、高台移転の中心になるとのことでした。 おてんのうさ…
…中ごろ)の地震痕跡と津波痕跡が発見され、見学会が催されました。 「石器が地割れに吸い込まれたような状態で発見されている」とのこと。 弥生人は大地震に驚き、津波に襲われ、集落や耕地はは壊滅。再びこの地に人が住み始めたのは約400年後の古墳時代とのこと。 松本秀明東北学院大学教授の説明がありました。 弥生土器に触ることがことができて参加者は喜んでおりました。 仙台市教育委員会文化財課資料より 「3 調査成果の概要 荒井広瀬遺跡の東に位置する沓形(くつかた)遺跡では、約2,000年…
ちょっとご無沙汰しております大雄寺(南三陸町志津川田尻畑)を訪れましたら 津波で流された山門ができておりまして、よかったです。 帰りはネコちゃんが見送ってくれました。 周囲の環境整備も少しずつ進んでいますが・・(津波は階段まで上がったとのこと)。
(朝の漁) 震災2年3ヶ月 南三陸町志津川 朝夕霧がかかることの多いこのころ。左に防災対策庁舎 高野会館付近 南三陸町を襲った大津波の証言 ホテル観洋 津波により多くの方がお亡くなりになった天王前地区の後ろの山は戦国時代の山城、新井田館跡。 高台移転の発掘調査が始まっています。 荒島前 大森 早朝の海
早朝、南三陸町志津川荒島付近にて ウニ漁が始まりました。 荒島神社 光の海で 荒島 柵は津波でちぎれています。 逞しきウミドリ 地元産ウニを用いたウニ丼。(静江館にて)
普門寺(宮城県山元町)。東日本大震災津波で流出した骨灰塚上の観音様が盗まれましたが、このたび戻ってまいりました。 合掌 塚の周囲の竹には生き残った人たちから死者へのメッセージ。テラセン:宮城県亘理郡山元町おてら災害ボランティアセンター 青巣稲荷神社 青巣稲荷神社 - みやぎ観光復興支援センター スタッフブログ
南三陸町志津川にて(早朝) 南三陸町戸倉波伝谷にて(早朝)海岸には大津波の痕跡がそのままです。 三陸復興国立公園の「復興」が取れる日を目指して。 環境省_三陸復興国立公園の創設を核としたグリーン復興 | 東日本大震災への対応
「津波にも流されることのない、先祖たちから地元の人々に育まれたギフトだと信じています。」 (大室南部神楽保存会・神楽の演目紹介から・宮城県石巻市北上町十三浜大室) (岩戸入り) お客さんが皆、微笑んでいて、演じ手もうれしそうに舞踊っています。 なんとしてもと、駆けつけた甲斐がありました。 お天気も、神楽衆も、会場の皆様も、輝いておりました。 海のそばの会場(大室漁業共同作業場) 山の神様が見守っています こんなふうに。次第 始まる前からかっこいい舞台 新幕誕生! 塩をまき、舞…