防災 の検索結果:

大震災4年 南三陸町魔王神社の山が街になる

魔王神社からの絶景 2013年夏 南三陸町戸倉 防潮堤の工事と美しい海・島々 東日本大震災から住民を守った魔王神社のふもとで新しい街づくりが進んでいました。 魔王神社 魔王神社(戸倉波伝谷) | 神様を祀る | 生活の歓 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM 防災対策庁舎 合掌 室側保育所側からでは、上半分しか見えない! 右手に防災対策庁舎

大震災4年─蒲生・荒浜・五柱神社・閖上・山元町合戦原遺跡

…原遺跡 宮城病院地区防災集団移転促進事業・災害公営住宅建設事業に伴う発掘調査 7世紀後半~8世紀の横穴墓群50基、古代の製鉄炉1基・木炭窯7基などが発見されました。 雨の中200人余の見学者。 各地(奈良・福井・岐阜・新潟・山形県・宮城県)から調査員が応援に来てくれています(調査は来年度も続行とのこと)。 (google earth) 累々たる横穴状の墓が、横穴墓群─古代の墓でした。 関東から派遣された?古代人集団の奥津城か 家型の天井に整形されているものもあります。 墓道の…

初夢─「災害文化」立国の勧め

…に発達したこう した防災の知恵は「災害文化」と呼ばれる。」というふうに使われてきました。本稿でも、それを含みより大きな意義を持たせました。) 天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書) ◎自然「災害文化立国」に近いイメージは田中舘愛橘博士(地球物理学者 1856年-1952年 地球物理学者 岩手県二戸市出身)がすでに唱えていたようです。えらい先人がおりました(このことは年末の河北新報で知りました。ただし、わたしは「自然征服」とは考えず文化に力点をおきます。)…

女川町崎山遺跡現地説明会─奈良時代集落で塩作り

…災害遺構)は生々しい防災情報(教育)として後世に残すべきだったと思う。 「女川町」の検索結果 - JIEN記 東日本大震災における震災遺構 七十七銀行跡地で合掌 語り継ぐ想い|㈱七十七銀行女川支店被災者家族会 【3.11】七十七銀行女川支店の津波被害訴訟、人命よりも経済合理性が優先されるのか? 一般社団法人 全優石が宮城県女川町に「津波記憶石」建立 「津波記憶石」の設置された女川町地域医療センター(旧女川町立病院)のようす (※画像クリック拡大) お昼は「きぼうのかね」商店街…

宮城県遺跡調査成果発表会─入の沢・熊の作・御駒堂遺跡ほか─東北古代史の発見

…ともリンクし、現代の防災とも関連する。今後、慎重な検討が進められている由、注目される。 仙台城跡二の丸北方武家屋敷第15地点の発掘成果公開 - 縁果翁記◎八幡沖遺跡(多賀城市 被災市街地復興土地区画整理事業) 多賀城市いのちの碑・山元町の山から─震災三年七か月 - 縁果翁記 神社を囲む溝の年代は15世紀から江戸時代と訂正された。◎多賀城跡87次調査(多賀城跡 調査研究) 南門の再調査が過去の調査成果が訂正された。 虎箱!さんのブログより 2014年11月09日の記事一覧 - …

大川小学校の教訓に学ぶ─津波から命を守るために

…公刊に寄せては、津波防災の第一人者・群馬大学の片田敏孝教授のご推薦をいただくこともできました」(下記HPより) ◎ダウンロードできます↓ スマートサバイバープロジェクト — ふんばろう Wall Paper・ふんばろう東日本支援プロジェクトHP ふんばろう東日本支援プロジェクト【参考】 ・地形状況などが詳細に調べられています。 大川小学校の裏山再訪(その1)、午後0時: 被災地の神社・寺院の状況 ・2012.3 NHKスタジオパークHP スタジオパーク 「東日本大震災1年・大…

南三陸の初夏

久しぶりに南三陸町を訪れ防災庁舎跡にて合掌。気温29度 「風景」は土の壁で遮られつつある・・・ 山に近づくとほっとします。

南三陸町水戸辺川流域の「慶長大津波」伝承地踏査─『戸倉路のつたえ-語り継ぐ津波の道標-』に寄せて

…承を学術的に研究し、防災にも資することができるかも知れないと思い、東北大学災害科学国際研究所に情報提供いたしました。そして、6月15日には、西條氏よりその伝承のメモと水戸辺川流域の津波伝承地の手書きの地図をいただくとともに、氏の案内で水戸辺川流域(戸倉)を歩きました。東日本大震災津波の遡上域を越えてさらに奥まで津波が遡上しているという伝承に驚きました。 (2013.6.15 津波で家屋のほとんどが流出した戸倉在郷から水戸辺川上流を望む) (赤色が東日本大震災津波浸水域・中央が…

大震災三年─南三陸・仙台・名取をめぐって─震災考

…土のようす 南三陸町防災対策庁舎 おあたごさん と呼ばれ親しまれた志津川新井田の愛宕神社の周りが伐採され小さな社がむき出しに..祀っていたおられた多くの方が大津波に流され亡くなったと聞いておりましたが.. 登り口には、建立者の名前が多数刻まれた貴重な庚申の石碑が倒れていました。 参道の上段の左右には江戸時代にこの地で苦楽を共にした人々のお墓が累々とありました。 合掌 昔の人は、この急な斜面を登って参拝したのです。 登ると、すでに周囲の伐採が進み工事用道路で寸断されていました。…

西條實短歌集 ─大震災を越えて南三陸に生きる

…かれ少なかれそのような思いが感じられます。至る所に神仏が守り伝えられいるのもうなずかれます。 今、復興工事によって、環境が激変しつつありますが、「自然に包まれた神仏の里」は、南三陸の良き特徴の一つです。この美しき環境が失われずに次代に引き継がれるよう復興ビジョンに活かされることを切に希望いたします。 そして、西條さんの伝える貴重な「慶長地震津波伝承地」が、きちんと記録され、さまざまな分野から分析がなされ、今後の防災にも活かされることを望みます。 (田中 2014.3.9付記)

志津川湾おすばで祭り復興市─南三陸から

おすばて? お酒のつまみのことと地元の方に教えていただいた。 これに行かないとお正月を迎えられないのだそうだ。朝の雪道を南三陸へ 寒いけど 活気があって楽しそうな朝の風景 夕暮れ近く 防災対策庁舎前にて合掌

震災2年8か月─南三陸町防災対策庁舎の今

….11.6 南三陸町防災対策庁舎は町の方針としては解体となった。 仕事の帰りに手を合わせる バス 外国の方も 三日月のもと 2013.11.8 合掌南三陸町防災対策庁舎 - Wikipedia 長崎原爆の日67に震災学 - JIEN記参考記事 今読んでいる本→早くもお勧め 1 大江健三郎 『晩年様式集』 「(前略) 私のなかで 母親の言葉が、 はじめて 謎でなくなる。 小さなものらに、老人は答えたい、 私は生きなおすことができない。しかし 私らは生きなおすことができる。」Am…

高大瀬遺跡現地説明会─東日本大震災・慶長・貞観津波堆積層の発見

…・松本秀明東北学院大学教授) 「東日本大震災の津波堆積物と、その下層に過去(貞観・慶長)の津波堆積物の可能性がある砂層2層を同時に発見(岩沼市HPより) 4層が慶長16年(1611)地震津波の堆積物と推定される層。6層の灰白色の層は十和田a火山灰(10世紀前半)。8層は貞観11年(869)の津波堆積層と推定される層。 岩沼市の教育長さんからは、今後、この発掘調査成果を防災・減災資料として後世に伝え、活用するとの表明があり、有意義な遺跡説明会であった。 高大瀬遺跡現地説明会資料

震災2年7か月─南三陸から.じぇじぇじぇ

…食堂1700円) じぇじぇじぇ(さんさん商店街にて) 震災2年7か月 南三陸町の防災対策庁舎は11月に解体される 祈りをささげる人が絶えない場を(解体して)どう祈りを継続させるのか 海の方を望む(2013.10.6) 実は、病を得て一か月近く療養していたのですが、南三陸復帰のお祝いに茶の花のつぼみを一輪いただきました。一晩行方不明になったそのつぼみに再会し、水をあげたら今朝、みごとに咲きました。里山中に見出したということは。南三陸でのお茶栽培の名残りかもしれません。感謝です。

祝東北楽天優勝─南三陸から

…体が決まった南三陸町防災対策庁舎については、被災者の気持ちを考えた保存公開施設構想が産み出されず、補助も出ない結果で残念でした。筆者は上部ドーム形本体直方体水ガラスのようなものの中にすっぽり入れて保存強化処理し(標本のように)、覆い屋を設けて、鎮魂・祈りの方に扉を開けて入っていただく施設が望ましいのではないか、という考えを一つ持っておりましたが、保存反対・賛成・議論の声は聞こえても、どこからも保存・祈りの場へに向けての具体案が出てこないのは残念でした。 南三陸町防災対策庁舎(…

かさねがさねの想い2─二日目

幹mikiさんの歌声が、加川広重さんの「荘厳された」志津川の防災庁舎の絵の前で響く。 登米市の「おだづもっこ」さんの「南三陸の詩─思いはやがて歌なる」も身体のうちに響いてきた。加川広重ホームページ: ・ HOME ・ 現実 (防災対策庁舎2013.7.27) (2013.7.11)

かさねがさねの想い2─メディアテーク

(加川広重さんの挨拶) せんだいメディアテーク 「かさねがさねの想い2」 加川広重さんの南三陸町防災対策庁舎付近を描いた巨大画「南三陸の黄金」を背景に仙台フィルのカルテット・フィデスの弦楽四重奏と吉田ユーシンさんのハーモニカに出遭う。加川広重ホームページ かさねがさねの想いinメディアテーク - JIEN記 現実(2013.8.9) (右端が防災対策庁舎2013.7)

水戸辺鹿子躍り─南三陸町志津川湾夏まつり「福興市」

どしゃ降りやんで霧となり行山流水戸辺鹿子躍り登場南三陸町志津川湾夏まつり「福興市」─未来へ“つなぐ”夏(南三陸さんさん商店街)奉一切有為法躍供養也 - JIEN記 霧の中たくさんの方が集まりました(開会式)。◎昼食のおすすめ─キラキラ丼(うに丼) 帰りはお地蔵さま(防災対策庁舎跡)に合掌

梅雨の志津川─防災対策庁舎跡

合掌 右上に防災対策庁舎 珈琲神社より志津川の海・波伝谷を望む お愛宕さん入口より志津川湾を望む

お愛宕さん─震災2年4ヶ月─志津川

…今日の志津川 右上が防災対策庁舎 同じく 海側を見る これが現状なのです。 JR陸前戸倉駅付近の整備が進んでいます。 モアイ像(さんさん商店街) 読書再開─『被災地から問うこの国のかたち』 「すちばん根本的な問題なのは、この国のパワーエリートたちが、全く「平時のシステムと論理」を変えようとしないことでしょう。」(玄侑宗久) 「「だから、もう一度、原発を動かして、そのお金を使って復興しようよ」という、そういった悪魔の囁ききの声がはじまるに違いない。だからこそ国のレベルの議論とは…

荒井広瀬遺跡(仙台市)─2000年前の地震地割れ痕跡

…催する荒井広瀬遺跡では、これまで分からなかった地震痕跡(地割れ跡)に加え、それを覆う津波痕跡(津波堆積物:砂)が同時に確認されました。 これにより、この時の地震が、日本海溝周辺で発生したものであることが明らかとなりました。さらに、二つの痕跡からは、弥生時代の土器や石器が見つかっており、過去の災害痕跡と人間の生活を示す遺物を同時に確認できたことは、地域における災害の歴史を広く共有し、今後の防災・減災に役立てる上でも、極めて重要な成果であると考えられます。」 遺跡見学会のお知らせ

震災2年3ヶ月─志津川

(朝の漁) 震災2年3ヶ月 南三陸町志津川 朝夕霧がかかることの多いこのころ。左に防災対策庁舎 高野会館付近 南三陸町を襲った大津波の証言 ホテル観洋 津波により多くの方がお亡くなりになった天王前地区の後ろの山は戦国時代の山城、新井田館跡。 高台移転の発掘調査が始まっています。 荒島前 大森 早朝の海

霧の志津川

「なつかしい未来へ」 南三陸町防災対策庁舎

大震災2年1ヶ月─南三陸町から

南三陸防災対策庁舎130410 復活・再生 (南三陸町役場にて)