2014.3.25改訂
(夕方の志津川湾)
(戸倉にて)
はじめに─西條實さんとの出会い
西條實さんとは、南三陸町の高台移転に伴う新井田館跡の発掘調査が縁で出会いました。一年を通した山の過酷な発掘作業をこなす現場最高齢の西條さんは、皆さんから「語り部さん」と呼ばれる抜群の記憶力の持ち主で、南三陸の歴史・風土・伝承を語り続けております。
中でも「慶長地震津波伝承地」を伝えていることには驚きました。その水戸辺川上流を案内していただきましたが、山林を疾駆するような82歳とは思えぬ強靭な体力についていくことはできず、わが身を恥じた思い出が蘇ります。そして、その伝承の貴重さを実感し、東北大学災害科学国際研究所などに西條さんを紹介させていただきました。
西條さんは、東日本大震災津波により、お身内の方を四人亡くされて、さぞや、沈痛の日々だったと思います。そして昨年から思い出の故郷と人々を詠まれた短歌を次々と作られるようになりました。そこには、南三陸の神仏が息づく風土を大事にする氏の生き方をうかがうことができます。
そこで、詠まれた地の現状の写真と重ねることにより、より、南三陸に住み、大津波の災禍を越えて生き抜いた氏の人生を表現できるのではないかと思い立ち、この短歌集を編みました。
西條さんに辛い思い出を含むゆかりの地を案内していただきながら、復興に励む人々と出会い、美しい海と山の間に生きる南三陸の人々のたくましい生きざまをも実感することができた得難い体験となりましたことを心から感謝いたします。
拙い写真と編集ではありますが、大震災発生から三年を目前の日に、西條さんの新たな旅立ちの平安を祈念して献呈いたしますとともに、皆様に「大震災を越えた」一つの生き様をお知らせいたします。
(写真・編集 田中則和)
水戸辺川流域
一帯は谷深くまで大津波によってすべてが流されました。そこに慶長津波伝承が残っておりました。
※「飯田の窪」とは、江戸時代の実話をもとした「飯田口説き」に関わる伝承にちなみます。↓
「女川飯田口説・詳説」(3)「南部領への逃亡を辿る」
五十鈴神社より波伝谷を望む
水尻橋
荒島
高野会館
(慈眼寺観音)
おわりに
西條さんの短歌には、神仏への祈りが満ち溢れております。南三陸の年配の方には多かれ少なかれそのような思いが感じられます。至る所に神仏が守り伝えられいるのもうなずかれます。
今、復興工事によって、環境が激変しつつありますが、「自然に包まれた神仏の里」は、南三陸の良き特徴の一つです。この美しき環境が失われずに次代に引き継がれるよう復興ビジョンに活かされることを切に希望いたします。
そして、西條さんの伝える貴重な「慶長地震津波伝承地」が、きちんと記録され、さまざまな分野から分析がなされ、今後の防災にも活かされることを望みます。 (田中 2014.3.9付記)