御前浜再訪─女川町

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草茂りて 仏を覆う

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防潮堤は浜を横断し 浜の人散り

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復興道路貫き 住宅地高台に造る

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堤防工事を望む。周辺は嵩上げ予定とのこと。合掌

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◎本のおすすめ─金菱清『震災学入門─死生観からの社会構想』
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震災学入門: 死生観からの社会構想 (ちくま新書)
「震災後いつどこかでやってくるはずの先延ばしにされた復興はついぞ実現されない。なぜなら、いま・ここの当事者の心の寸法に合わせないで、いつどこかで何かが実現されることはないからである。
死者の声に耳を澄ます
 現場で暮らす人びとは、懊悩しながらも今の持ち場を守る使命を帯びている。そのなかからしか災害の復興や再生はありえない。そしてその内実を見れば、死生観そのものを問わざるをえなかった。
 生者と死者の中間領域に存在する曖昧な喪失に対して、豊富化し意味を肯定的に転調させることで処する方法である。ただ災害やその後の土地利用や暮らしに押し出される被災者像ばかりではなく、声にもならない人びとの暮らしや見えないが確かに存在する生ける死者の声に耳を澄ませて聞くことができるならば、災害に打ち克つための有益な情報を得ることができるだろう。本書はその上うな願いのもと書き認めた。」(本書より)
鋭い指摘に満ちた金菱清氏の『震災学入門』。今こそ、耳を傾けてほしい。
筆者が批判した「施策者」に、指摘を取り込んでもらえるためにはどうしたらよいのか、という方法論にさらなる進化を期待したい。

・注目記事
hotatelog.cocolog-nifty.com

多福院とまぐろ屋明神丸「いのちの石碑」─石巻・女川

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久しぶりに霊場 「弥陀が埼」の多福院(石巻市)

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見事な中世 石塔婆が並んでいる。津波の痕跡は薄れつつある。

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昼食は念願の女川駅前「まぐろ屋 明神丸」の三色丼
まぐろ屋 明神丸(女川町女川浜) | メディア猫の目 ~ 石巻かほく

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津波からよみがえった女川駅前シーパルピアのようす

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女川 桐ヶ埼の絶景

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“ガンバレとささやく町の風の音”
女川のこどもたちが創った「いのちの石碑」(桐ケ埼)
「1000年先まで、記憶をのこそう。
「いのちの石碑プロジェクト」をご支援していただいた皆様へ
皆様からのあたたかい募金で「いのちの石碑」を建立し始めてから現在までに、
町内に6つの石碑を建てることができました。
今回、子どもたちと話し合う中で、7つ目の石碑の建立式を行うとともに、
子ども達が考案した対策案の「絆を深める」「高台に避難できる町づくり」の実践を目指し、避難訓練を行うことになりました。」(下記HPより」
www.inotinosekihi.com

www.nhk.or.jp

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津波到達地点に建つ「いのちの石碑」から湾を見る(カメラ故障する)。




本─末木文美士『日本の思想を読む』
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日本の思想をよむ

日本の思想をよむ

「社会と国家、自然と人間、宗教、身体、そして死――。思想史を彩る43編をとりあげ、現代の課題と原典を橋渡しする日本思想史入門。古事記、仏典から国家論、日本国憲法まで、未来を考えるヒントとして、今ひらく。 」(KADOKAWA本の紹介より)
空海最澄道元親鸞はもとより宮沢賢治南方熊楠と続き、意外なことに、最後に「日本国憲法」がある。近世から読み直すという視点が興味深い。
「..それでは、普遍的法則の効力がなくなると、日本国憲法は瓦解してしまうのだろうか。そう簡単にも言えない。歴史を振り返り、明治を飛び越えて江戸時代まで戻るならば、そこでは二世紀半に及ぶ長い平和な時代が続き、一切海外派兵を行わなかった。
また、天皇は儀礼的権威に留まり、政治は幕府が行うという象徴天皇制に似た体制が採られた。意外にも、日本国憲法は近世の体制に繋がる面を持つのである。こうして伝統をもう一度読み直すことが、緊急の課題となるのである。」
詳細は、ぜひ本書をご覧ください。

・注目記事
シンボル展「よみがえる、ふるさとの宝たち-3.11被災資料の再生-」: 山梨県立博物館 -Yamanashi Prefectural Museum-

sp.kahoku.co.jp
digital.asahi.com
継承されなかった熊本地震の記憶

こどもたちがその時どれだけ...おびえたか考えてみる─オバマ大統領in広島

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                              (NHKテレビより)
“..こどもたちがその時どれだけ混乱しおびえたか考えてみる..”(オバマ)
広島において、オバマ大統領がこどもの気持ちになってヒロシマを捉え、こどもたちのために核廃絶への決意を表明したことは意義深いことである。
それは死者の声に耳を傾けるという作法によって提起されたとする点で評価できると思う。
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(NHKテレビより)

オバマ大統領スピーチ(抜粋)
「71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか。私たちは、恐ろしい力が、それほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるため、ここにやって来ました。
また死者を悼み、戦争を悼み、10万人を超える日本国民の方々と、そして何千人もの朝鮮の人々、アメリカ人の捕虜も命を落としました。
その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。

..私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。
子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。..

..世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。」(下記HPより)
www.huffingtonpost.jp
www.huffingtonpost.jp


まちんと (絵本・平和のために(1))

まちんと (絵本・平和のために(1))

www.asahi-net.or.jp
gunosy.com

大川小学校にて合掌─石巻市

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www.asahi.com


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(160519)
引き寄せられた地 大川小学校にて合掌いたしました。

mainichi.jp
diamond.jp


tentijin8.hatenablog.com

d.hatena.ne.jp

大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻

●注目記事
mainichi.jp

・保立道久氏の提言
「一言申し述べれば、問題を根本的に解決するためには、最近、議論があるよう に、防災省のような省庁を創設し、内閣府国交省の関係部局や気象庁消防庁原子力規制庁などを統合して、その中枢に日本学術会議が長く主張している 地震火山庁を置くというようなことが必要だろうと思う。
 また最後に歴史家としての感想を付け加えることを許していただければ、そも そも、災害の相当部分は、災害の経験を、世代を越えて継承することなく忘却 してしまい、また無理・無法なことをやって自然からしっぺ返しをくうことによって生まれる。
「災害は忘れたころにやってくる」というのは有 名なことわざだが地震火山列島に棲む民族として、私たちは、そろそろ歴史的な災害の経験のすべてを継承する成熟した知恵と感性をもつべきではないだろうか。「災害は忘れた頃ーー」ということわざを過去のエピソードにすべき時代に入っているのではないだろうか。」(下記記事より)
hotatelog.cocolog-nifty.com
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/245505www.nishinippon.co.jp
mainichi.jp

浜の仏も復興を─女川町・御前にて

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宮城県女川町の浜を歩くいて なんとかならないかと浜の方が。。。

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美しい仏様たちが 津波の後に回収されたまま。

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延享元年(1744)

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(うに丼)
女川駅と商店街は見事に整備できた。
www.town.onagawa.miyagi.jp

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高台の熊野神社も移って、住宅建設工事中のようです。


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   “わたしたちも”と野の仏さま

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貴重な津波記念碑もございました。
「   (裏)
畏くも天皇 皇后両陛下には災害の甚大なるを聞召され特に罹災者に対して救恤金を御下賜あらせらる洵に恐懼感激に堪へす爰に 聖恩の宏大なるを永く後世に伝へんとす 此の記念碑は朝日新聞寄託の義金二十余萬円を罹災町村へ分配したる残額をもって建てたるものなり 昭和九年三月三日 女川町 」
とすると、表は「昭和八年三月三日 大震嘯災記念 大地震後には津浪が来る 地震があったら津浪の用心」(宮城県津波碑DBより)
修復、復旧、復興の手立てはないものか。

なみえ復興大学

◎注目記事
mainichi.jp
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付記 2021.5
「野の仏」を「浜の仏」に改題し、「御前」を追加いたしました。

御前浜熊野神社に詣る─女川町

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熊野の神の縁にて、東日本大震災津波から残った女川町御前浜熊野神社に詣る。
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(Google earth)
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山の海側突端に鎮座する熊野神社は残ったが、左手の道路わきの山の神神社は流されてしまったとのこと。

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熊野の神の御前 工事中の防潮堤の向こうに美しい海。

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震災以後、浜に住むことはできなくなった。

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(Google earth 110406)
甚大な被害を受け浜の集落の人々は高台に移転するとのことでした。

御前浜の尊名の由来は749年、小田郡から黄金が発見され、朝廷に献じたことで知られる「百済王敬福がこの浜に御所を営んだことによる」(『宮城県の地名』)とのこと。立地からすれば熊野神社の鎮座する丘のあたりだろうか。
「御前浜」は熊野神社の前に広がる浜という解釈はスムーズだが、あるいは、それだけ古代において重要な地であったなごりの伝承であろうか興味深い。
tosima.seesaa.net

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今は山藤が盛り。

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女川の町は復興工事まっさかり。

平塩熊野神社─寒河江の霊場・経塚

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山型県寒河江市の平塩熊野神社 境内で経塚が発見された古来よりの霊場に詣る。

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経塚より出土した石製八角柱形石製品
宝珠に蓮弁 仏教的に神聖なものがはいっていたことは間違いない。
yamagata-np.jp

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平塩熊野神社(神社提供資料)
山形県寒河江市平塩に鎮座する熊野神社は、内陸部村山盆地の西側、白鷹丘陵の裾辺部に
位置し、また県を縦断する母なる川、最上川右岸の段丘状に位置し、内陸部きっての沾
刹として養老五年(西暦721年)時の高僧行基によって出羽国村山郡平塩村に勧請さ
れたと伝承される。
 ご祭神伊弉諾命・櫛御氣野命・速玉男命・事解男命の四柱、他十柱を合祀。
沿  革
 その昔は如法堂・護摩堂・内御堂(行基堂、、阿弥陀堂)と三殿が立ち並んでいた。
神社の本殿は外陣・内陣・内々陣と仕切られた仏堂建築であり、明治初期め神仏分離
前までは、神仏混合で祭祀を掌り、真言宗にて十六坊で組織された一山衆が神社の祭事
加持祈祷を執行していた。近世までは熊野権現と呼ばれ、戦前まで郷社としての社格を
持ち、近郷近在の中核の神社であった。
 8世紀から10世紀にかけて中央政府の奥羽支配の拡大に伴って鎮魂、教化策のひとて
として天台宗が導入されました。県内で、この頃開山伝承をもつ社寺は、慈恩寺、立石
寺、若松観音等の古刹が多いが、おしなべて行基開山伝承を持つ天台宗である。
 また熊野神社には、11世紀に陸奥国で起こった内乱(前九年後三年の役)で、鎮守府
源頼義・陸奥守源義家が武運長久・戦勝祈願のために奉納した御正体二面が残る。
中世には隣接する中山町から大江町を所領とする中山大江氏の祈願所としても信仰を
得ておりました。この大江氏は鎌倉期の政所別当職を務めていた大江広元の直系子孫が
地頭職として赴任し定住の地として出羽国寒河江荘を統治。
 近世には百四十九石余の御朱印を賜り、武将の信仰も篤く歴史の古さが偲ばれる。
神社の年中祭礼
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 【熊野神社例大祭
 当熊野神社春の例祭は、毎年四月三日と定められ「春を告げるお祭り」と七て「平塩
舞楽」を奉納する。内陸部では初めのお祭りである熊野神社例大祭は、天平舞楽の拍
れをくむ奉納舞として知られる。平塩舞楽は例年十番を、奉納する。その中で「三台造
塩・還城楽・抜頭」の三番は、地元平塩の氏子から選出された子どもたちが奉納する利
児舞であるO甲胄をまとい抜刀して舞う勇壮なる「太平楽」は閏年の奉納です。舞楽糾
習の前には、坊大れと云われる神事を上げ、熊野の神様へ舞人の名前や、安全を祈願す
る神事を行う。例祭当日夜中(午前3時)から乱聲祭がしめやかに執り行われ、熊野の
神々に祭礼、舞楽の成功を祈願します。平塩舞楽の奉納は、本殿での例祭終了後、午後
1時半より奉納。
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 【御塞神祭】
 旧暦の小正月1月15日に平塩地区内においてお塞神祭が行われます。松の生木で、
男根を模ったお守りや、御神札を奪い合う奇祭として有名で、この祭りに参加しようと
近郷近在から多くの人々が集まります。このお守りや、御神扎は、無病息災、五穀豊穣、
火盗消除、縁結びや、子宝、子育てにご利益があり、持ち帰った人は、大切に神棚に供え
お祭りします。

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平塩の塩泉
 神社の立地する平塩の地は、太古より塩泉が湧き出、先大たちの定住の地でありまし
た。この塩泉は現在も湧き出しています。」
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平安時代の十王像

(※平塩熊野神社より掲載の許可をいただきましたことを感謝いたします) 

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