松島雄島・金剛舎利石塔─600年前の願い─大晦日に

貞和五(1349)年「一結徒衆」板碑
f:id:tentijin8:20181231113558j:plain
宮城県松島町雄島に立つ高さ2.4mの南北朝時代の石塔(板碑 図は合成写真)。
全身コケだらけのため、気に留める人はほとんどいない。

f:id:tentijin8:20181231110337j:plain
こちらは同じものを、色を除去した写真。釈迦如来のシンボル(梵字)が鮮やかに見える。

そして 実は願いの文がぎっちりと刻んであります。
f:id:tentijin8:20181231183945j:plain
(画像処理写真)
簡単にいいますと
「お釈迦様の仏舎利である「金剛舎利」(お骨)の法会を毎日行い、浄土に行くことと、それぞれの家の繁栄を願ったあります。」
「金剛舎利」とは、現在も瑞巌寺(当時は円福寺)で所蔵する水晶製五輪塔に納められている「舎利」と考えられています。
その下に
f:id:tentijin8:20181229084109j:plain
(合成ゆがみ修正写真)
お坊さんと法会参加者の名前がびっちりと刻んであります。
その数、なんと145人(『松島町史 資料編1)
「安藤太郎妻 尼妙善 真光妻 阿弥陀仏 孫六妻....」と女の人の名前が多いのです。
これらの人々は安藤氏など牡鹿半島の海の武士団、 だけでなく海の民と考えられています。
f:id:tentijin8:20181231210805j:plain
                                                                                              (『松島町史 資料編1)
すごいでしょ!


f:id:tentijin8:20181231204859j:plain
実は、背面にも、江戸時代の人が刻んだ文字が全面に刻まれています。


f:id:tentijin8:20181231205325j:plain
松島の誇る歴史文化遺産 雄島(南北朝時代は「御島」)


では、本年はご愛読していただき誠に有難うございました。
よいお年をお迎えください。

南三陸町・新井田館跡調査現地説明会-2013.11.23-

f:id:tentijin8:20131123075222j:plain
南三陸町新井田地区の津波で流出した家屋の基礎と新井田館跡(2013年11月23日)
f:id:tentijin8:20131123104558j:plain
調査現地説明会の様子(公開については南三陸町教育委員会の許可を得ています)

f:id:tentijin8:20181203173037j:plain:w380
南三陸町新井田館の発掘について
 南三陸町の山城跡、新井田館跡(にいだたてあと)は2011年11月3月11日に発生した東日本大震災津波からの復興事業の一つである中央団地造成に伴い大規模な発掘調査が実施された。その結果は、それまでほとんど知られなかった南三陸の戦乱の室町時代を物語る重要な成果となった。調査成果は緻密な報告書にまとめられたが、その性格上、一般の方には難しいものであり、もっとわかりやすく語りたい。筆者が、このたび『南三陸の山城と石塔─東日本大震災後の調査でわかったこと』(河北新報出版センター 864円)を書いた目的の一つである。しかし、拙著はモノクロ主体の小さな本でありビジュアルの面ではわかりにくい。そこで、動画でお届けすることを考えた。まずは、以前、南三陸町教育委員会の許可を得て公開した現地説明会のビデオを再編集してお届けする(編集技術は超初心者でありお許し願いたい)。
f:id:tentijin8:20131123110045j:plain
 新井田館の時代は15世紀、室町時代金閣寺を建てた三代将軍足利義満から四代の義持に移っていく時代で、応永七(一四〇〇)年には奥州探題として斯波氏(後の大崎氏)が任じられ、現在の大崎市付近に赴任してきたとされる時代である。しかし宮城県の沿岸部の様相は記録がなくほとんど不明で、山城全体をまるごと発掘調査した例は宮城県では極めて少ない。その結果、室町時代志津川では、領主が、山上に立てこもらざるを得ない、軍事的緊張の状況であったことがわかった。そして、志津川湾沿岸の航路・街道を見通し、内陸から街道の出入り口を抑える重要な位置に、東アジアの品々を入手しうる有力な武士一族が存在したことが明らかとなったのである。
tentijin8.hatenablog.com

南三陸の山城と石塔 (河北選書)

南三陸の山城と石塔 (河北選書)

南三陸町の山城跡─新井田館の発掘と朝日館の縄張り

新井田館跡(志津川新井田)

想像的復元説明図(『新井田館跡』(南三陸町教育委員会 2016)を下図に作成
田中則和 2018)

(竪堀風の麓への通路)

(上の写真を別角度から見たところ。切岸、段の調査風景)

東日本大震災後の復興関連調査で2013年に新井田館跡はまるごと発掘され、消滅した。(現在の中央団地)


その結果、大規模な土塁と空堀、切岸で防御された室町時代の居館型山城であることがわかった。
tentijin8.hatenablog.com




グーグルアースで見る2014年3月の様子


朝日館跡(志津川下保呂毛)


現存する南三陸最大の山城、朝日館跡(2016年 ドローン撮影 佐藤泰・針生芳知)


縄張り調査の結果、広大な居住地を擁する中世の居館型山城であることがわかった。
(田中則和 2016)。

中枢部の地表顕在遺構の解釈


グーグルアースで見る2011年4月の様子

tentijin8.hatenablog.com


城館の位置関係(グーグルアース 2016)

グーグルアースで見る南三陸の主な城館


(朝日館跡付近 2018.10)
現在、南三陸町は復興工事の真っ盛り、道もどんどん変わっています。お気を付けください。


詳しくは拙著をご覧いただけると幸いです。

honto.jp

南三陸の現在

最近の南三陸 2018.10
f:id:tentijin8:20181025114355j:plain
志津川城こと朝日館跡付近は復興工事真っ盛り(クルマ走行注意)

f:id:tentijin8:20181022123842j:plain
南三陸町新庁舎

f:id:tentijin8:20181025120000j:plain
f:id:tentijin8:20181027111254j:plain
志津川 さんさん商店街付近

f:id:tentijin8:20181025175631j:plain
戸倉

f:id:tentijin8:20181022142752j:plain
戸倉 魔王神社下の新しい団地から波伝谷方向を望む


f:id:tentijin8:20181021102837j:plain
石巻市雄勝町

f:id:tentijin8:20181025122352j:plain
石巻市十三浜大室団地


f:id:tentijin8:20181027111807j:plain
女川町新庁舎

月浦十三仏石塔(永禄六年)─安部下野守と「善男善女」


石巻市月浦(つきのうら)・永禄六年(1563)十三仏石塔(上部)オルソフォト(歪み修正写真)


種子(仏を梵字で表したもの ※古代インドサンスクリットの表記に用いられた文字)で三十三回忌までの仏さまを表しています。
(上から)クルリンの文字は「イ字」(梵文のはじめに置く)
月輪(がちりん)の中に金剛界大日如来(十三回忌)、
虚空蔵菩薩(三十三回忌)、
胎蔵界大日如来(十七回忌)、薬師如来(七七日)、弥勒菩薩(六七日)、不動明王(初七日)
阿閦如来(七回忌)、観音菩薩(百か日)、地蔵菩薩(五七日)、釈迦如来(二七日)
阿弥陀如来(三回忌)、勢至菩薩(一周忌)、普賢菩薩(四七日)、文殊菩薩(三七日)


全体を下から見上げる(オルソフォト)。
「「塔婆」は「石仏」であることを明記し、地域の有力武士とみられる安?部下野守による造塔の功徳によって、この地域の「善男善女」の「二世安樂」と「同一蓮台」すなわち、現世の安楽と極楽往生を祈願している見事な造形の塔である。支倉常長像の近くに現在も立っているので、ぜひご覧いただきたい。」(『南三陸の山城と石塔』2018より)
牡鹿半島の「安部(阿部)」氏は中世の有力な土豪と考えられています。ご子孫でしょうか。私も牡鹿半島を歩いて安部さんのお世話になりました。


現状



(月浦 2017年)
支倉常長が遣欧使節として慶長18(1613)年にサン・ファン・バウティスタ号で出航したことで有名な月浦。奥州葛西氏初代清重が鎌倉から着岸(「着きの浦」)したという伝説もある(『宮城県の地名』)。

(グーグルアース)

東日本大震災津波
https://www.kahoku.co.jp/haken-pj/shisetsudan-vol7.htmlwww.kahoku.co.jp

東日本大震災による被災地域の斜め写真を公開(国土地理院)
http://www.gsi.go.jp/common/000060885.pdf


↓詳しくは拙著をご覧ください。

宮城県考古学会-宮城県の考古学情報


◎注目
第482回 震災を経ても土地に生きる―南三陸町波伝谷、12年間の映像記録を通して | 国立民族学博物館 友の会

哀悼 樹木希林さん─雄勝にて

「樹木希なる林」となる。希林さん 心から哀悼の意を表します。
f:id:tentijin8:20131020103201j:plain


f:id:tentijin8:20131020103509j:plain
雄勝新山神社2013.10.20

socine.info

tentijin8.hatenablog.com
「「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました。」(樹木希林 下記HPより)
www.huffingtonpost.jp
樹木希林 - Wikipedia


digital.asahi.com

加川広重さんの巨大画「気仙沼」展(せんだいメディアテーク)

f:id:tentijin8:20180818124127j:plain
加川広重さんの巨大画「気仙沼」展


f:id:tentijin8:20111231071325j:plain
わたしの「気仙沼」2011.12


f:id:tentijin8:20180818124458j:plain
加川広重さんの巨大画「気仙沼


f:id:tentijin8:20110915081641j:plain
わたしの「気仙沼」2011.9


f:id:tentijin8:20180818124549j:plain
おすすめです。19日まで、せんだいメディアテーク


f:id:tentijin8:20180818124252j:plain
www.kagawahiroshige.com

www.huffingtonpost.jp


tentijin8.hatenablog.com
tentijin8.hatenablog.com


わたしの気仙沼陸前高田
d.hatena.ne.jp

◎おすすめ あまねく旋律youtu.be
映画『あまねき旋律(しらべ)』 - ホーム | Facebook


●参考
www.huffingtonpost.jp