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新井田館跡から探る南三陸の中世社会─宮城県考古学会研究発表会5.15+合戦原遺跡

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(2013.11.23現地説明会の様子)
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 2011.3.11の東日本大震災により甚大な被害を受けた南三陸町では、高台移転(志津川中央地区の復興拠点整備事業)に伴い中世の山城跡である新井田館跡の発掘調査が全国各地(長野・埼玉・山梨・新潟・徳島・福井・秋田県京都府)からの調査員派遣により行われました。
 山城跡のほぼ全域が発掘調査され(約19,000m)、この3月に調査報告書が刊行されたことにより室町時代(15世紀中心)に土木・軍事技術を駆使した山城の全体像が明らかになりました。今回の宮城県考古学会の研究発表会では新井田館跡から探る南三陸地域の中世を明らかにすべく特集を組まれます。これを契機に、ほとんど記録が残されておらず謎に満ちた中世の三陸沿岸地域の歴史が明らかになっていくことが期待されます。
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新井田館跡発掘調査成果の概要(『新井田館跡─津波復興拠点整備事業に係る発掘調査報告書』(2016.3) より)
所在地:宮城県本吉郡南三陸町志津川字新井田
調査主体:南三陸町教育委員会 調査協力:宮城県教育庁文化財保護課
調査機関:①平成25 (2013)年3月 ②平成25 (2013)年4月~平成26 (2014)年3月 ③平成26 (2014)年9月~11月
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 新井田館跡は、志津川湾を望む標高67mの丘陵上に立地する中世の山城である。保存状態の良好な山城のほぼ全域を調査した結果、館跡の構造、変遷、時期、各遺構の規模、造成方法、性格等が明らかになった。
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「①館跡は、平場7ヶ所、堀跡8条、土塁跡11条で構成される。平場からは多くの掘立柱建物跡が検出され、特に、平場1・2では、大型で規格匠の高いものが認められた。また、平場1では囲炉裏と考えられる焼土遺構も検出された。堀跡は、平場の周囲を巡るものと、斜面に向かって延びるものかおり、いずれも堀底道である。土塁跡は、平場や堀跡内に位置するもの、堀跡に並行するものがあり、立地によって規模や造成方法が異なる。これらが、地形とともに相互に関連して館跡の防御の役割を果たしている。
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②館跡の造成には、防御性を重視した地形の利用と改変、地質の特性を把握した遺構配置、必要な土の確保と膨大に生じる土砂の処理等、計画畦の高さとそれを実施する土木技術の存在が窺えた。また、一部の土塁跡については、地盤工学の観点から分析が実施され、土塁造成技術の実態が解明された。
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③館跡は2度改修されており、I~Ⅲ期の遺構期が認められた。出土遺物と放射性炭素年代から、I期は15世紀前半、Ⅱ期(Ⅱ-1・Ⅱ-2期)は15世紀後半、Ⅲ期は16世紀代と考えられる。I期からⅡ-1期の改修は全域に及ぶ大規模なもので、館跡の構造が変化するⅡ-1期からⅡ -2期の改修は部分的で小規模である。 I期からⅡ期には連続性が認められるが、H期からⅢ期には認められず、後者には時間的な断絶が想定される。④今回の調査は、15世紀代の中世城館の全面調査により、その実態が明らかになった全国的にも貴重な事例であり、文献史料が僅かである宮城県北部の中世史を考察するうえでも重要な成果と言える。」
宮城県考古学会宮城県考古学会-総会・研究発表会


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仙台市博物館 | 仙台市
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合戦原遺跡(山元町)横穴墓の線刻壁画は分割移設へ
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「線刻画が描かれている縦約1・5メートル、横約3・8メートルの部分を樹脂で固め、13区画に分けて切り出し、再びつなぎ合わせる方法をとる。
 ただ、一筋縄ではいかなかった。樹脂で固めてはぎ取る技術は確立されているが、合戦原遺跡は固い岩の地層と柔らかくぬれた地層が隣り合う特殊な地質で、一般的な樹脂は使えない。このため、東北歴史博物館(多賀城市)の研究員が、50~60パターンの樹脂の配合を試し、岩にも砂にも浸透して固める薬剤を見つけた。地質がほぼ同じ、近くの36号墓で濃度や吹きつけ方法の試行を重ね、8カ月かけて試験移設を成功させたという。5月9日にはぎ取り作業に着手する。」(朝日新聞より)
合戦原遺跡横穴の線刻がは分割移設となる。今まで緻密な実験を繰り返し重ねた結果とのこと。困難な作業であり、成功を祈る。
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黄泉の鳥 くっきりと

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    (反転するとイメージが浮かび上がります)

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