新井田館 の検索結果:

災害と境界の考古学─復興調査から宮城の知られざる歴史が見えてきた

…ameblo.jp 新井田館 余湖【DVD収録作品紹介】中世山城遺跡新井田館跡を震災復興中央区に変える過程のごく一部 - えいぞう - 3がつ11にちをわすれないためにセンター - 東日本大震災のアーカイブ↓小屋館城 https://www.pref.miyagi.jp/documents/4189/699589_1.pdf https://www.pref.miyagi.jp/documents/4187/641851_1.pdf 気仙沼熊谷党と八幡神社 | 古谷館八幡神社…

南三陸研究会「三陸の中世」(2023.6.4)に寄せて

…大震災復興工事に伴う新井田館跡(現在の中央団地)の発掘調査を契機に南三陸町をはじめとする沿岸部の豊饒な歴史文化遺産に惹かれて10年余歩き回りました。その間、地元の方からは懇切なお世話と導きをいただき、深く感謝しております(『カラー新版 南三陸の山城と石塔』 Kindle版 Amazon 2021(2018年刊の河北選書は絶版))。 第18回 南三陸研究会 歴史編 「三陸の中世」 2023年6月4日14:00-17:00 会 場 南三陸町生涯学習センター この間、奇跡的に残って…

『カラー新版 南三陸の山城と石塔』━東日本大震災からの復興とともに

…んだのは2013年の新井田館跡の復興関連発掘調査でした。志津川を代表する大雄寺の大型板碑2基は大津波で流出し、傷つきながらもボランティアに救出されましたが現在も一帯の復興は遅れ横たわっております。その向かいにある本吉氏の居城、朝日館跡は三陸南部沿岸では最大級の平山城で最下段には南北朝時代禅宗系の銘文豊かな「妙樹禅尼逆修板碑」が立っています。 新井田館跡 2013年11月23日新井田館跡 2013年新井田館跡現地説明会資料 2013年11月23日 南三陸町教育委員会新井田館跡 …

大津波と歴史文化遺産

…付近(朝5時過ぎ) 新井田館跡現地説明会資料(南三陸町教育委員会)2013.11.23 新井田館跡現地説明会 2013.12 1 楽天参上 さんさん商店街(仮設) 2013.12.4 志津川 大津波千日目新井田館跡 2013.12.4 (現在の中央団地) 2015.12 南三陸地域最大の山城跡 朝日館跡(南三陸町) goo.gl 2017.5 荒浜小学校 東日本大震災遺構展示 2018.10 志津川 2019.12 .17 志津川 さんさん商店街より祈念公園を望む tenti…

講座「南三陸の中世5 志津川湾を板碑・山城から探る」(予告)

…」─予告(田中則和)新井田館跡発掘調査現地説明会資料(南三陸町教育委員会) 2013.11.23南三陸町で開催しております連続講座「南三陸の中世」(8回 主催:南三陸研究会、うみさと暮らしのラボ )は、いよいよ、2013年の新井田館跡(現在の中央団地)発掘を契機とした南三陸の中世の歴史探求の出発点である「志津川」に入ります。新井田館跡の発掘調査 2013.10今回は、拙著『南三陸の山城と石塔』刊行以後の成果を盛り込み、埋もれていた先人たちが知恵と工夫をこらした痕跡、石塔や山城…

南三陸町・新井田館跡調査現地説明会-2013.11.23-

…流出した家屋の基礎と新井田館跡(2013年11月23日) 調査現地説明会の様子(公開については南三陸町教育委員会の許可を得ています) 南三陸町新井田館の発掘について 南三陸町の山城跡、新井田館跡(にいだたてあと)は2011年11月3月11日に発生した東日本大震災津波からの復興事業の一つである中央団地造成に伴い大規模な発掘調査が実施された。その結果は、それまでほとんど知られなかった南三陸の戦乱の室町時代を物語る重要な成果となった。調査成果は緻密な報告書にまとめられたが、その性格…

南三陸町の山城跡─新井田館の発掘と朝日館の縄張り

新井田館跡(志津川新井田) 想像的復元説明図(『新井田館跡』(南三陸町教育委員会 2016)を下図に作成 田中則和 2018) (竪堀風の麓への通路) (上の写真を別角度から見たところ。切岸、段の調査風景) 東日本大震災後の復興関連調査で2013年に新井田館跡はまるごと発掘され、消滅した。(現在の中央団地) その結果、大規模な土塁と空堀、切岸で防御された室町時代の居館型山城であることがわかった。 tentijin8.hatenablog.com グーグルアースで見る2014年…

 津波で不明のサケ供養碑発見の喜びとその後の疑問─気仙沼市小泉

気仙沼市で震災の津波により行方不明になっていた「魚魂碑」(鮭供養碑)が発見された。 傷だらけながら「魚魂碑」の文字が金色に輝いているよう。 大津波を乗り越え、懸命に復興を歩む人々の前に出現した「震災の証」。 (鯨供養碑 延享三年1746 南三陸町) いにしえから (魚貝類供養碑 石巻市釜谷)現代にいたるまで日本列島の人々は自然の恵みの命をいただいている感謝の念を不朽の形で表現してきました。 わたくしも宮城県の沿岸各地で江戸時代から現代に続くいくつもの魚貝の供養碑を見てまいりま…

謹賀新年─荒天の時代と歴史遺産

明けましておめでとうございます (↑YAHOO検索より)昨年は拙ブログをご覧いただきまことに有難うございました。 (三陸海の盆in志津川) 東日本大震災をはじめ各地の復興は地元の方を中心としたネットワークにより着実に進んでいると実感できたことは何よりです。 しかし、世の中は、大地動乱、「荒天の時代」、「戦争の足音」、大変な時代に入ってきたようです。 小生も近年は腰痛など加齢症状に苦しんでおりますが、本年は、めげずに、それなりに新たな境地を目指します。 自らの履歴を活かして震災…

新井田館跡から探る南三陸の中世社会─宮城県考古学会研究発表会5.15+合戦原遺跡

…い中世の山城跡である新井田館跡の発掘調査が全国各地(長野・埼玉・山梨・新潟・徳島・福井・秋田県、京都府)からの調査員派遣により行われました。 山城跡のほぼ全域が発掘調査され(約19,000m)、この3月に調査報告書が刊行されたことにより室町時代(15世紀中心)に土木・軍事技術を駆使した山城の全体像が明らかになりました。今回の宮城県考古学会の研究発表会では新井田館跡から探る南三陸地域の中世を明らかにすべく特集を組まれます。これを契機に、ほとんど記録が残されておらず謎に満ちた中世…

高田城跡と森の社の今+気仙地域の魅力を語るⅡ─陸前高田市

…軍地蔵さまを祀る)は新井田館に添って高台にあったが、同じく高台移転で本来の場所を失った。やむを得ないことだが再び見守ってほしいものである。 tentijin8.hatenablog.com しかし、道は、北の峰に上っていく。。 高台移転調査に伴って発掘した場所のようです。 対面には仮市役所が見えて、虹! がかかっていました。 高田城跡 | (公財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター その先は、高台移転の造成が行われていました。 道はやがて、八幡神社に導きました。まさに、…

志津川城(朝日館)を「復興の城」に─南三陸町

…発掘調査後、消滅した新井田館跡 みやぎの戦国時代合戦と群雄作者: 紫桃正隆出版社/メーカー: 宝文堂発売日: 1999/03メディア: ハードカバー クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見る志津川城が登場する紫桃正隆先生の本 ・注目 明日が、いよいよ最終日です。 杜の都の街なか映画館 仙台セントラルホール 「風土が創られてゆくためには時間という要素が欠かせない。 崩壊した地域に新しいコミュニティが合理性をもってつくられるだけでは、何かが決定的に足りない。 多くの…

南三陸の今─盛土の海から

黒崎の絶景が.... 黒崎海岸堤防計画 波伝谷の絶景が.... 戸倉海岸堤防計画 志津川「中央区」造成 元「新井田館跡」 塩前寺跡にて 防災対策庁舎にて合掌 本日は、「盛り土の海」を観て衝撃でした。 「南三陸の歴史文化・自然を大事にした復興まちづくり」を祈念して 帰途へ 志津川ライブカメラ 南三陸町 小さな生き物 何を食べて生きる?「生きとし生けるものが生を全うできるよう」矛盾

大震災4年─南三陸町2 波伝谷から新井田

…うに、何があっても暮らせるような一次生産力のあるまちに復元していくことが世界に伝えられる、本当の意味での復興だと思います。」 鈴木 卓也さん | 南三陸町観光協会公式ホームページ 志津川「新井田館跡」から「中央区」へ(2015.3.12) 新井田館 の検索結果 - 縁果翁記 復興まちづくり想定図(「中央区」は中央上部の扇形の区画) 上記想定図などを展示する南三陸復興まちづくり情報センター(さんさん商店街) 南三陸復興まちづくり情報センター | 南三陸町観光協会公式ホームページ

鯨供養塔から新井田館跡─南三陸町

鯨供養塔は、数あれど、竜神さまのは素朴な形 延享三年(1746) 岬の突端にありながら、竜神さまは、津波でも大丈夫だったとのこと。帰途、なつかしい新井田館跡に立ち寄ると、ついに「中央区」造成が始まっていました... 海抜20.4mが津波の届かないはずの中央区の新生活面か。 新井田館 の検索結果 - 縁果翁記

大晦日─耳をすませば惜別の人 魂祭りの紅白へ

…発掘調査・南三陸町・新井田館跡・山城・山元町・山下館跡・入の沢遺跡・4世紀の謎・陸前高田市・バリ舞踊・歴史にみる震災・大室南部神楽・保呂羽の神と保呂毛の猫・鎮魂 羽生結弦選手のご回復を祈念いたします。。。。。。。 あっ 紅白が始まっておりました。 。。。。。。。。。。 皆様 本年も、拙ブログをご覧いただきまことに有難うございました。 ●今年のわたしの一番─入の沢遺跡─謎の4世紀を明らかにする東北史の大発見 入の沢遺跡現地説明会─4世紀、塀と大溝で囲まれた最北の拠点集落跡 - …

想い出─津波復興拠点整備事業(高台移転)発掘調査

(2013.12.18 南三陸町・新井田館跡) (2013.11.8 新井田館跡発掘調査・休憩風景) 山の上の平場の住家を土塁と空堀と切岸(人工の急斜面)で敵から守る。 南三陸町・新井田館跡

下保呂毛から飯田屋敷跡─南三陸から北上町女川へ

…入ると、分厚い盛土で新井田館跡が見えない! 新井田館跡は、未だ残っていました。。。。 「中央区」建設のため一山が削られる予定の「新井田館跡」を惜しみながら 新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記 山の上の小社「愛宕神社」の行く末を案じながら 嵩上げ工事の盛んな新井田・天王前付近を抜ける。 着いたところは、知る人ぞ知る「飯田口説」(はんだくどき)の里 石巻市北上町の女川 「女川飯田口説・詳説」(1)事件と資料 (労作 ※音楽がなるのでご注意) 保呂羽神社春まつり…

入谷八幡神社打囃子・新井田館跡─震災3年半の南三陸

…自転車がいっぱい。 新井田館跡 三陸の戦乱を物語る「土の城」 「中央区」建設ののための削平迫る。。。 (発掘調査終了後の新井田館跡から志津川湾を見下ろす) (グーグルアース2014 3-4頃新井田館跡は赤いマーク左の土露出箇所) 南北朝時代 志津川にそびえ、海上交通を抑える支配者の山城であったと思われる。 同じくGA 館中央部 北から志津川湾方向 平場の周りは、すでに工事用道路に取り巻かれている。 右側手が主郭(いわゆる本丸) りっばな掘立柱建物跡の柱穴が見える。 左は2郭(…

「日本発掘」の顔─東北歴史博物館

…館HPより) ●テーマ展示室での地域展「復興と創造のために─宮城の復興 発掘調査─」は特別展会場と離れているせいか観客が少なく残念。山元町・岩沼市・仙台市・多賀城市・石巻市・気仙沼市の復興や災害市に関わる郷土の歴史発掘の精華であり、ぜひご覧ください(7月13日まで)。・付記 新井田館跡の3D表示を期待しておりましたが旗とパネルのみで残念でした。新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記(本ブログの掲載は東北歴史博物館の了解を得ております。ご協力を感謝いたします。)

春祈祷 社の桜 波伝谷のふるさと資料館─南三陸から

…販所タブの木で 旬は、ほや! さばき方伝授 まずは、プラスをカットから 苦手な方は、わかめなど(袋の絵は戸倉の生徒さん作) 「南三陸の森里海マップ」(東北グリーン復興)の戸倉付近 豊かな海の幸 しづがわ湾源流ウォーク 波伝谷の皆様 お世話になり有難うございました。 波伝谷はエコと歴史文化のミュージアムとして再生しつつあります。 志津川新井田愛宕神社の桜も、在郷の桜に似て美しいです。 参道は、「中央区」(新井田館跡)建設のため、すでに立ち入り禁止となっておりました。 大震災三年

大震災三年─南三陸・仙台・名取をめぐって─震災考

…掘が終わった志津川の新井田館跡(右側)を盛り土の間から望む。発掘風景 (休憩中撮影 町教委掲載許可済) 新井田館跡は発掘によって、600年前(南北朝時代)に築城され、全国的な戦乱の中で、地域のエネルギーを集めて防御をこらした、東北有数の海を抑える山城であることが分かりました。 夏の新井田館跡 休憩時間に志津川湾を望む ほっ とする海風 あそこから津波が.. ここで生きていく 今 南三陸の方たちはとても一生懸命働きます。特に女性は明るく、「颯爽」としていらっしゃいました。男たち…

西條實短歌集 ─大震災を越えて南三陸に生きる

…陸町の高台移転に伴う新井田館跡の発掘調査が縁で出会いました。一年を通した山の過酷な発掘作業をこなす現場最高齢の西條さんは、皆さんから「語り部さん」と呼ばれる抜群の記憶力の持ち主で、南三陸の歴史・風土・伝承を語り続けております。 中でも「慶長地震津波伝承地」を伝えていることには驚きました。その水戸辺川上流を案内していただきましたが、山林を疾駆するような82歳とは思えぬ強靭な体力についていくことはできず、わが身を恥じた思い出が蘇ります。そして、その伝承の貴重さを実感し、東北大学災…

志津川の海と山城─南三陸から

…度でした。 落城近い新井田館跡の山にも、「つわものども」の氣が舞っているようでした 新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記 東日本大震災復興に伴う成果報告会─発掘調査でわかった沿岸部の歴史 チラシの表紙になっています⇒1月26日 仙台市博物館 新井田館跡の最新情報は、こちらで! 文字がみにくいので↓確認 宮城県考古学会-宮城県の考古学情報●明日は地獄の釜が開くので、土木・建築関係はお休み 志津川だけではない旧暦の風習のようです。 宮城県復興応援ブログ ココロプ…

大晦日に思う─南三陸・紅白・想像ラジオ

… (1312南三陸町新井田館跡にて) 皆様 今年も拙ブログを見ていただいて有難うございます。今年は南三陸復興のお手伝いを少しばかりさせていただいたのですが、むしろ地元の皆様に元氣づけていただくことが多く、その逞しさに打たれました。厚く御礼申し上げます。 忙しさに追われて...大晦日を迎えてしまい、思うことがあります(遅かりし思いです)。 今年の日本は、「上り調子」と経済成長が喧伝されていますが、南三陸には、あまり届いてはいないのが地元の人々の実感です。 振り返ってみると、近隣…

震災二年九か月 水尻橋のたもとにて─南三陸から

水尻橋のほとりにて(2013.12.8)3/12朝6時頃大船地区まで水尻川沿いを大津波が ガレキと一緒に昇って来ました | 閲覧 | NDL東日本大震災アーカイブ水尻川:水工学委員会水尻橋の仮橋:国土交通省 やがて「中央区」となる新井田館跡から南方を望む。 2013.12.11

震災1000日─南三陸から

震災津波1000目 合掌 復旧・復興未だ成らず... 志津川の浜 今日も水に没す。 戸倉折立の朝 造成が進みつつある。 町と住民の間に考え方のズレ 戸倉海岸・防潮堤建設着工 | 仙北郷土タイムス南三陸電子版|南三陸町のニュースサイト 「中央区」となる予定の新井田館跡(愛宕神社より ※調査区内は立ち入り禁止)新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記

新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から

…いをはせて 南三陸町新井田館跡(にいだたてあと)は、保存状態が極めてよい室町期の城館跡 海から出入りする交通路を抑える城館というのが、この景色を見た時の直観。 左半に見える横堀は、竪堀につながり急崖に落ちる。その先は... 東日本大震災による高台移転事前発掘調査成果の現地説明会 山城がまるごと発掘され、その全貌が明らかにされたのは、全国的にも数少ない。 15世紀前半には築かれ(室町時代)、17世紀には、廃城になったと考えられており、土塁と堀、急斜面に造成した切岸により幾重にも…

梅雨の志津川

来年には、高台移転で消滅する新井田館跡(戦国時代)のかたち 煙雨のうち

蝉羽化─南三陸にて

南三陸でセミの羽化に出あいました。 顔のように見える絶妙の色合いです。 発見地 新井田館跡 標高60数メートル(1404追加)