「志津川村という村名の由来は、古館朝日城の下に清水が涌き出るところがあるということにちなんでつけられたと伝えられている)」(安永三年(1774)「志津川村御用風書出」私訳)
暖かなクリスマスイブ
南三陸町志津川下保呂毛(ホロッケ)の志津川城から観る月と空が素敵だった。
志津川城(朝日館)から水尻川流域、志津川湾を眺める。戦国時代は、入江が近く志津川湾を抑える絶好の立地。
城下は東日本大震災津波により甚大な被害を受けた。復旧・復興は、他地区より遅れているのではないかと感じた。
(志津川保呂毛付近の津波の浸水域『東日本大震災津波詳細地図〈上巻)』古今書院より)
志津川湾方向から見た南三陸の雄、本吉氏の居城と伝える志津川城跡(朝日館・旭館)の威容。
本吉氏は戦国時代、東北有数の名族、葛西氏の独立性の強い重臣とされる。
南三陸の戦国の歴史を秘めて聳える。
朝日館跡(志津川下保呂毛) | 戦国期の館跡 | 歴史の標 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM
志津川城跡
↓おすすめ探訪記(著名城郭研究者のブログです)
仙台藩領の城・館1350を歩きつくした紫桃正隆さんが「見るからに悠々たる山容の中に、満々たる自信が溢れ出ているような山城」
「葛西家のの巨族(親族)、本吉大膳太夫の居城址だけに、その陣地の堅固さ、配備の精妙さ、そしてスケールの巨大さはただ目を見張るばかりである。地理的軍事的陣地としても当地方随一、究めるほどに新しい驚きが次々と出現する山城跡である」評したことにわたしも同感です(文と図は紫桃正隆『仙台領内古城・館 第二巻』宝文堂 1973年)。
城主としては、平泉の藤原秀衡の四男、本吉四郎冠者高衡の居館であった伝承がありますが、戦国時代に葛西氏の流れである本吉氏の居館として築かれた山城ではないかとされています(『志津川町史 歴史の標』など)。
(本丸跡 大土塁と観音堂1207)
現在は本丸跡には観音堂(紫桃正隆さんによると「旭観音」)が祀られており、地元の方たちにより参道と本丸跡は刈り払いされています。それ以外は倒木が多く、素人の方が歩くのは危険な山林です。民有地ですので許可を受けずに歩かないようご注意ください。麓にあった町で設置した説明板は津波により流されたようです。再建を望みたいものです。
志津川城は、戦国の志津川を支配した武士、本吉(千葉)氏の城であり、南三陸の戦国の歴史を秘めた大規模な山城であり、水尻川流域は、縄文・平安・中世の遺跡が密集する古来よりの志津川の中心的な地域です(『志津川町史 歴史の標』など)。
全山加工された山城の姿は派戦国時代の志津川人のエネルギーを物語っている(図は佐藤正助(地域史家 元教育長)『志津川物語 旭ヶ浦物語増補改訂版』NSK地方出版社 1985より)。
(西門土塁)
西門土塁には貴重な石垣が残っています。
まずは、全体を南三陸町の歴史文化遺産としての指定しての保護が望まれます。
水尻川(志津川) | 清らかな流れ | 自然の輝 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM
(左が志津川城跡 右は古舘跡 大雄寺付近より)
志津川城跡を歴史公園にして復興のシンボルにと願う
志津川城跡が歴史公園化されれば。眺望も素晴らしく、津波避難地を兼ねた復興まちづくりのシンボルとなりうる東北有数の名城であると思う。それは、いわば千年に一度の大津波を乗り越えてきた水尻川流域の生活文化の再生につながり、南三陸の活性化に寄与すると思う。これだけの歴史文化遺産を次期の復興まちづくりへ活用してはいかがでしょうか。
(グーグルアース 2011.4.6)
隈研吾氏がされているという南三陸町の復興グランドデザインも、このような知られざる名城を取り込んで造れないものかと考えます。
南三陸町志津川地区グランドデザイン資料
南三陸のみならず、日本列島沿岸部は昔から海辺と山のコラボで生き抜いてきたのですが、隈研吾氏の設計事務所の公表資料を観ると海辺だけの整備のようですが、たとえば第二次まちづくりの対象に含めていくというのはいかがでしょうか。。
(グーグルアース)
戦国期の宮城の城
城の麓には南北朝期に禅尼が立てた供養石塔
梵字と地獄に落ちないようにと光明真言などが刻まれています。
城の中腹には江戸時代の念仏供養碑が立っています。
本丸跡の入り口には明治時代の馬頭観音の石碑が立っています。
ここは、六百年余にわたる志津川の人々の生活と祈りを感じることができる稀有の場所でもあります。
向かいの大雄寺の裏山墓地に立つ伝志津川城最後の城主の墓碑
文禄三年(1593)と刻まれるが、江戸時代になって大雄寺が再興された享保年間(1716~1735)頃、旧主を顕彰供養した建てられたと推定されています。
古碑は指定文化財になっています。そうするとすると居城の朝日館が指定文化財でないのは不思議です。
大雄寺の古碑(町指定 志津川田尻畑) | 民俗文化財(有形) | 未来への遺産 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM
朝日館の方を向いて建っています。
志津川城の北に聳える謎多き城「古館」 手前に土橋が残っています。
(地元の方に許可を得てのぞき見しましたが、猟師が出入りしているので危険とのこと。)
再会
・高台移転地(中央区)の事前発掘調査後、消滅した新井田館跡
- 作者: 紫桃正隆
- 出版社/メーカー: 宝文堂
- 発売日: 1999/03
- メディア: ハードカバー
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
・注目
明日が、いよいよ最終日です。
杜の都の街なか映画館 仙台セントラルホール
「風土が創られてゆくためには時間という要素が欠かせない。
崩壊した地域に新しいコミュニティが合理性をもってつくられるだけでは、何かが決定的に足りない。
多くの被災地がまず、昔からあったお神輿やお祭やお地蔵様に注目したことには深い意味がある。
時間を孕んだものにこそ、空虚を埋めて欲しかった。
お神輿もお祭もお地蔵様も、哀しいほど、重要な役割を果たしてくれた。
人びとは涙し、喜び、いくばくか安心を取り戻し、希望が持てそうな思いになった」(下記ブログより)
同感です。埋もれた山城跡や供養塔も、お祭りやお地蔵様のさらに、背景の地域の歴史・文化を秘めているものと思います。