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富沢館跡(とみさわたてあと 仙台市太白区富沢字館 室町時代から江戸時代)
最近まで2014年3~4月ころ撮影のグーグルアースのように土塁は林の列をなし、地域のシンボル的存在でした。
(朝からの雨が、一時やんで、土塁から館の中央部を眺めました。)
富沢館跡見学会
仙台市で最も保存のよい平地に築かれた城館である富沢館跡の中心部が区画整理事業に伴い発掘調査されました。
戦国時代に富沢地区を支配した領主の館跡で長大な土塁が地域の歴史を物語っています。
(遺跡見学会資料より 仙台市教育委員会文化財課)
雨上がり、掘立柱建物群や門の跡、たくさんの柱穴などの説明を聞きたかったです(建物跡の発掘はこれからが本番のようです。)。
土塁
撮影位置(グーグル)
土塁で守られた出入り口が発見された。
撮影位置(グーグル)
『仙台市史 城館』に富沢館跡について執筆された柳原先生(中世史 東北大学)のご説明はわかりやすく、最後に富沢館の重要性を述べて結びとしておられました。
※動画の掲載にあたっては柳原先生、仙台市教委文化財課の許可を得ております。
柳原先生の復元想像図
城館の四角い姿が、外堀跡が帯状の田んぼとなっていてわかります(昭和20年の航空写真)。
旧笊川と二重三重?の堀に囲まれた広大な城館だったと考えられています。
在地産陶器(13~14世紀)と常滑産陶器甕壺(15世紀)
戦国時代ころの天目茶碗や鎌倉時代のころの三筋壺
(見学会資料の一部)
出入り口は門のある東側と二重の土塁で防御された南西部と二か所考えられます。
(赤線で囲まれた箇所は道路建設予定地に設定した発掘調査区)
富沢館概要(柳原先生資料より)
(富沢館跡 Google Earth 今年の3~4月ころ 手前が凹みあたりが門跡が発見された出入り口)
○出土遺物から鎌倉・室町・戦国・江戸時代初期の支配者の拠点であったことが分かります。
○今後、柱穴群などの発掘が進むと、それぞれの時代の様子が明らかになると期待されます。
○長大な土塁など仙台市でも最も保存のよい平地の戦国時代の館跡
●心配なことに城館の最も大事な二か所の出入り口と土塁が、今後の区画整理事業により損壊される可能性があるとのことです。
この仙台市では平地の城館としては最も良く保たれてきた仙台市有数の中世歴史文化遺産を損なうことなく保存して、新しいまちづくりの中で市民の憩いの歴史公園として活用していくのがよいのではないでしょうか。
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(富沢館跡位置 グーグル)
参考リンク
日本建設新聞社 » 住宅850戸や病院など誘致 25年度着工 富沢駅西区画整理(仙台市)
仙台市富沢駅西土地区画整理事業
仙台市富沢駅西土地区画整理事業環境影響評価準備書