津波 の検索結果:

初夢─「災害文化」立国の勧め

…。 近年、大地震・大津波・噴火・洪水・土石流等自然災害で多くの人命が失われるようになりました。 そして、世界は、頻発する紛争・テロ、伝染病の脅威にさらされています。 このような時勢に経済成長至上主義では、やがて日本は、(世界も)悲惨な運命に陥るのではないかとの危惧をひしひしと感じるようになりました。 「災害文化」(災害の前・今・後の各段階に最高度に備えることを基調とした文化)というキーワードに集約したいのですが、例えば、福島原発は貞観地震津波(869年)の状況をしっかり立地・…

想い出─津波復興拠点整備事業(高台移転)発掘調査

(2013.12.18 南三陸町・新井田館跡) (2013.11.8 新井田館跡発掘調査・休憩風景) 山の上の平場の住家を土塁と空堀と切岸(人工の急斜面)で敵から守る。 南三陸町・新井田館跡

女川町崎山遺跡現地説明会─奈良時代集落で塩作り

─江島共済会館解体・津波記憶石 女川町被災市街地復興土地区画整理事業に伴う発掘調査(国道398号線付け替え工事) 女川町崎山遺跡発掘調査現地説明会 女川町初めて発見の奈良時代(8世紀前半)の竪穴住居跡 崎山遺跡位置(赤いマーク グーグル・ゼンリン) (黄色いマーク グーグルアース) 竪穴住居跡出土遺物 須恵器模倣の土師器壺や須恵器蓋など カマド前の焼土から出土した製塩土器のかけら 縄文時代包含層 縄文土器など(前期後半5500年前 後期前半4500年前) 香川県、兵庫県から調…

宮城県遺跡調査成果発表会─入の沢・熊の作・御駒堂遺跡ほか─東北古代史の発見

…建設工事、山下館跡は津波復興拠点整備事業関連(資料掲載のみ) 「まとめ 新中永窪遺跡では、製鉄炉や木炭窯、須恵器窯など古代の生産遺構が多数見つかりました。これらは密集し、重複して作られているため、8世紀~9世紀初頭の間に須恵器や鉄の生産が盛んに行われていたことがうかがえます。また、「竪形炉」と呼ばれる製鉄炉や「横口付木炭窯」は、県内でも調査例の少ない構造のもので、良好な状態で発見されました。そして、これらの生産に携わった人々の住居や工房が隣接して見つかっており、古代の生産遺跡…

下保呂毛から飯田屋敷跡─南三陸から北上町女川へ

…た。 下保呂毛地区は津波で甚大な被害を受けました。 谷の奥が保呂波山への道沿い上保呂毛地区です。 高台の家を残し、下記の写真の平地の家々は流されました。 朝日館跡(志津川下保呂毛) | 戦国期の館跡 | 歴史の標 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM 朝日館跡(別称「志津川城」)の麓から「津波の来た道」がよく見える (『東日本大震災津波詳細地図 上巻』より ※「下保呂毛」の文字のところが朝日館) 下保呂毛 朝日館跡付近(グーグル+) 新井田地区に入ると、分厚い盛土で新井…

秋の読書中─イグネ.日本の未来.星の王子さま

…さん室長)「慶長地震津波の復興事業としての塩田開発」にふれた講演↓ 宮城の震災史「飛翔12.12」仙台商工会議所 荒浜慈聖観音に合掌して─jien記の終わりに - JIEN記 「●開発において重要なことは、破壊をできるだけ小さく抑えた開発で作り進む 「穏やかな輪廻転生のサイクル」。 ●日本が諸外国と仲よくするために必要な外交術は、 柔軟性と誠実さ、そして、いつでも自己判断して対処する能力。 ●中国に対しては、「歴史ある先輩方」という姿勢で接すれば、 よい関係を築ける。 ●TP…

多賀城市いのちの碑・山元町の山から─震災三年七か月

… 一帯は東日本大震災津波で甚大な被害を受けました。 鎮守の森も失われました。 神々への祈り・多賀城の文化財レスキュー 今日は、「宮内地区被災市街地復興土地区画整理事業」に伴う発掘調査見学会。 八幡神社を区画する江戸時代の溝などが発見されました。 永楽通宝を含む「さし銭」や銅製の六器などが出土しました。 また、柱状高台など11世紀から12世紀の土器が大量に出土しているは注目されます。 八幡沖遺跡第7次調査見学会開催のお知らせ八幡神社 宮城県神社庁 || 神社検索 ||山元町 2…

入谷八幡神社打囃子・新井田館跡─震災3年半の南三陸

…新井田地区はチリ地震津波でもこなかった「まさか」の大津波で、家々は流され、たくさんの死者がでた。今も家々の姿は無く、堤防工事が海から伸びてきつつある。 その東端に位置する愛宕神社(“おあたごさん”と地元では呼ばれていました)が寂し気でした。 クーグルアース2014 中央が愛宕社 左は新井田館跡 右は三陸道(工事中) この後 リアス・アーク美術館(気仙沼市) (お勧めの展示図録) 3.11が蘇る というか 気仙沼の被災状況が「遺物」とともに、心に訴えかけてくる。 多くの方に進め…

陸前高田 天神の大杉・「一本松」 ・みんなの家

…いました! 震災の大津波で生き残った陸前高田の今泉天満宮のご神木が心配で、行ってきました。 でも、やはり厳しい様子です。。。。 まわりにお子様たちが生えていたのには ほっとしました。今泉天満宮の再建を支援する会-HOME A.S様 突然の来訪に関わらず親切にしていただき有難うございました。 雨中、松原跡の「一本松」と訪れる人々(2014.8.17) 将来構想 近くの旧タピック45駐車場内に建てられた「復興まちづくり情報館」展示パネルの根の状況 展示していた「根」は上下逆に展示…

大川小学校の教訓に学ぶ─津波から命を守るために

…仙台市出身)著の 『津波から命を守るために─大川小学校の教訓に学ぶ』が届き、一読して、多くの疑問が解けるとともに、「教訓」としての指針を得ることができました。 構造構成主義を提唱し、東日本大震災支援に活躍した西條剛央氏は「あとがき」でこう述べています。 「津波はいつかかならずやってきます。この冊子は津波から命を守り、二度とこうした哀しみをうむことがないよう、上述した研究論文(「大川小学校の“悲劇”は、なぜ起きたのか」『構造構成主義研究』)をもとに作成したものです。」 この極め…

女川町内山遺跡復興調査・いのちの石碑

…─いのちの碑 地震・津波・遺戒・供養・墓碑について三重県の新田康二先生が調査されたぬ100基の碑文に刻まれた碑文の翻刻、所 在地、大き さ、建立年、想定される関係の地震・津波などの報告。小冊子ながら綿密な調査の結果が詰まっている。明応地震津波、宝永地震津波、安政地震津波、東南海地震津波の関係地図も付く。 多くの方に読んでいただきたい冊子です。(2014.3.31刊)申し込みはメールアドレスnitta.ya@mxs.mie- c.ed.jp 送料込みで482円」とのことです。 …

山下館跡・新中永窪遺跡現地説明会─山元町の歴史発見と復興

…) (『東日本大震災津波詳細地図 上巻』より 「麻生原」の文字の上部○の町役場の道路を挟んで東側か館跡・赤色は浸水範囲 ) 中世の山城跡は新市街地への道となる 新常磐線予定地の新中永窪遺跡では、8~9世紀初めの一大製鉄遺跡発見 津波の到達したあたりから登っていくと、奈良時代の工人たちのムラの跡が見えてきました。 とても保存のよい状態で見つかった横口式木炭窯 須恵器を焼いた窯 南方では常磐線の工事が始まっています。山元・新中永窪遺跡 古代の製鉄拠点か 炉や窯集積、集落跡発掘 |…

慶長津波伝承地行─南三陸町入谷

…地区において慶長地震津波の可能性ある場所を地元の方の案内で歩きました。今回はそのあらましで、探求が不十分のため今後、随時補正の予定です。 5月3日に「『歴史の標』(志津川町1991)によると入谷村に居住していた「伊藤(慶長末年大槻氏に改め)清右衛門祐次」が入谷村に居住していた時「慶長十六年十月に海水があふれて溺死、この時、武具や系譜を失った」ことを伝えるとあることは、慶長16年10月に津波があったこと及びその遡上域について重要な情報である。」と書いた。 南三陸町水戸辺川流域の…

南三陸町水戸辺川流域の「慶長大津波」伝承地踏査─『戸倉路のつたえ-語り継ぐ津波の道標-』に寄せて

…路のつたえ-語り継ぐ津波の道標-』 (RQ聞き書きプロジェクト編)が刊行され(非売品)、寄贈いただきました。 震災津波と復興途上の困難な状況の中で関係者の努力により南三陸の慶長地震津波伝承が初めて紹介されたことを慶びます。 このことに寄せて、南三陸町戸倉上沢前地区の水戸辺川(みとべがわ)流域における「慶長大津波」 伝承地の踏査結果の概要を紹介いたします(今後補正予定)。 ●ウェブ版150530 戸倉路のつたえ ~語り継ぐ津波の道標~西條實さん[宮城県南三陸町志津川戸倉] | …

宮城県考古学会研究発表会─東日本大震災と考古学

…特集1 遺跡の地震・津波痕跡調査の最新成果報告ではソフトエックス線による土層断面の検討などが注目された。 特集2 福島・宮城・岩手県の被災地の文化財の現状と課題 「特集1は、『宮城県における津波・地震痕跡の考古学的調査2 ― 新たな調査事例から』と題し、津波・地震痕跡にかかる新たな調査事例を発表いただき、過去の自然災害について考古学的アプローチから検討する。 特集2は、『被災3年を経た文化財をめぐる現状と課題』と題し、岩手・宮城・福島の被災3県それぞれが抱える現状を発表いただ…

保呂羽神社春まつり・本吉法印神楽奉納─南三陸にて

…神楽奉納 3.11大津波は、この山あいのセンターから200mに迫り、保呂毛地区の約半分の家々(下保呂毛地区)が流されたとのことでした・・・ 『東日本大震災 津波詳細地図 上巻』(古今書院)で確認いたしました(左下が保呂羽山)。 下保呂毛地区まで津波が及んでおります(赤色が津波浸水範囲)。したがって、先日の河北新報に掲載された「保呂毛には津波被害はなかった」とするS名誉教授の「TSUNAMI温故知新」の記事は誤りです。 (下保呂毛2013年 朝日館跡の高台を除いて、3.11津波…

春祈祷 社の桜 波伝谷のふるさと資料館─南三陸から

…っておりました。震災津波により全戸が流された今は、海洋青年の家、各仮設を廻ります。 春うららかなこの日 おだんごやおでんを食べながら、悪気を吐きだす獅子舞に喝采。 春祈祷のメイン会場となった仮設住宅、そして青い海(青年の家から) 戸倉在郷の八幡神社の桜は、社の下辺に達した津波にひたりましたが、今年も見事な花を咲かせました。 波伝谷の民俗資料館(かくれ里)は、津波で流出してしまいましたが、このたび「波伝谷高屋敷ふるさと資料館」として再建されました(不定期開館) 流されて、戻って…

三陸の風土と人に感謝する

…年間、南三陸をはじめ三陸沿岸復興のお手伝いをしながら「歩き・観る・聞く」で地域の人々に親切に導かり、風土や歴史の遺産を探ることができました。まことに有難うございます。 そして、震災・津波を越えて、三陸に生きる人々の生きざまにうたれました。まさにこの方たちや祖先のかたたちが営々と歴史文化遺産を守り伝えてきたのです。 このような先人の遺産が復興まちづくりに活かされるよう祈念いたします。わたくしも微力ながら少しでも「真の復興」に役立てるよう、これからもお手伝いさせていただきます。[

女川飯子浜のお地蔵さま─原発の近くにて

女川町飯子浜 津波で、家々もくすしの社も失われ 地蔵様だけが... お地蔵様 津波を越えて 親子かな 地蔵さま 花を纏いて 浜に立つ 飯子浜

アロサウルスがやってきた! ミュージアム再興に向けて─仙台市科学館

…パル、唐桑漁村センターのレスキューの紹介などですが、津波被害のすさまじいところに果敢にレスキューする姿が印象的でした。 文化庁 | 美術館・歴史博物館 | 美術館・歴史博物館への支援 | 被災ミュージアム再興事業 文化庁の事業のようです。 25年度採択結果 具体的に各地の催しが知りたいところです。 スリーエム仙台市科学館 - 3M SENDAI SCIENCE MUSEUM - 仙台市科学館の名前の頭にスリーエムとついているのには驚きました。 お子様と、ぜひお出かけください。

大震災三年─南三陸・仙台・名取をめぐって─震災考

…する海風 あそこから津波が.. ここで生きていく 今 南三陸の方たちはとても一生懸命働きます。特に女性は明るく、「颯爽」としていらっしゃいました。男たちには、運命の重さが感じられました。 秋の新井田館跡 深い堀で防御された室町期の山城発掘の休憩 土地に刻まれた600年前の軍事的緊張を掘り出した人々の談笑 不思議な空間でした。 冬の新井田館跡 美しき惣内山、貞任山の見える広大な空間の中で 怪我しないように怪我しないように 巨大土塁の測量風景 全国から八人の調査員が派遣され、頑張…

西條實短歌集 ─大震災を越えて南三陸に生きる

…。 中でも「慶長地震津波伝承地」を伝えていることには驚きました。その水戸辺川上流を案内していただきましたが、山林を疾駆するような82歳とは思えぬ強靭な体力についていくことはできず、わが身を恥じた思い出が蘇ります。そして、その伝承の貴重さを実感し、東北大学災害科学国際研究所などに西條さんを紹介させていただきました。 西條さんは、東日本大震災津波により、お身内の方を四人亡くされて、さぞや、沈痛の日々だったと思います。そして昨年から思い出の故郷と人々を詠まれた短歌を次々と作られるよ…

ひころの里のおひなさま─南三陸から

… 江戸時代に養蚕で栄えた地なので、まゆ玉細工に特徴があります。 冬に逆戻りの雪降りの中でしたが、民話と津波の語りべさんとお話しもできてよかったです。 まゆ玉が小鳥さんに シルクのフラワーがいっぱい(売っています) お昼に「ばっかり茶家」に行くと、なんと甘酒とながし餅のサービス 美味 お昼は「いなかごはん」おいしくて安い なんと500円! ひころの里入り口シルクフラワーフェスタ開催のお知らせ | 南三陸町観光協会公式ホームページ ひころの里 | 南三陸町観光協会公式ホームページ

大震災から二年十一か月─南三陸町戸倉 津の宮・滝浜・長清水・波伝谷・在郷・西戸地区

…で有名です あの日 津波にすべてさらわれました 2012.3.17の様子からみると、 ずいぶん復興が進んだなぁと思いました。 (上3枚2012.3.17の様子) 津波に負けないこの木は、タブの木なのか すごいです。 (2012.3.17) 町指定「天女塚・狗塚」も社ごと津波で損壊しました 現在は、小社、説明板が復活していました 天女塚・狗塚(町指定・史跡 戸倉津の宮) | 記念物(史跡) | 未来への遺産 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM 店内のタコナマコアイナメヒ…

牡鹿半島のくらし展─せんだいメディアテーク

…東日本大震災による大津波で62世帯中54軒の家が流された宮城県気仙沼市唐桑町の集落「宿」(しゅく)。過去にも津波の被害をうけながら、港町として発展してきた歴史を聴き取り、更地の向こう側にある未来を見通す。」(かもがわ出版の説明) 東北学院大の別チーム「東北学院大学トポフィリアプロジェクト」による トポフィリア!?東北学院大学トポフィリアプロジェクトは、同大学の学問領域を超えた若手研究者による研究・調査プロジェクト。「トポフィリア」とは「場所への愛」の意」(同上説明より)更地の…

大晦日に思う─南三陸・紅白・想像ラジオ

…時 甥っ子にチリ地震津波の時はあそこまでだから ここには絶対ここに来ないといった 申し訳ないと思っている これは、実際に南三陸で案内していただいた最近のお話しです。 戸倉在郷の今と慶明丸─南三陸から - 縁果翁記 紅白は えっー 法華経の世界です (志津川新井田の山=新井田館跡) 南三陸の山には、今でもくつきりと津波の痕跡が枯れ木の境として残っています。 紅白は、ドリカムin陸前高田 jien記 陸前高田「自分の手足も、揺れて動く長い髪の毛も、破けて体にまとわりつく衣服も、光…

戸倉在郷の今と慶明丸─南三陸から

津波で失われた南三陸町の在郷地区の様子(1229) 東日本大震災津波詳細地図〈上巻〉青森・岩手・宮城作者: 原口強,岩松暉出版社/メーカー: 古今書院発売日: 2011/10メディア: 大型本 クリック: 19回この商品を含むブログ (5件) を見る在郷は津波が奥深くまで浸水した水戸辺川流域にあたる 津波で失われた木 旧家跡 丘の上の八幡神社は、かろうじて残ったが、津波は水戸辺川の上流まで押し寄せた つらい思い出の地にご案内いただき本当に有難うございました。南三陸 海 山 川…

震災1000日─南三陸から

震災津波1000目 合掌 復旧・復興未だ成らず... 志津川の浜 今日も水に没す。 戸倉折立の朝 造成が進みつつある。 町と住民の間に考え方のズレ 戸倉海岸・防潮堤建設着工 | 仙北郷土タイムス南三陸電子版|南三陸町のニュースサイト 「中央区」となる予定の新井田館跡(愛宕神社より ※調査区内は立ち入り禁止)新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記

新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から

…。 新井田館跡遠景 津波の前には、多くの家々が並んでいました。今も、草むらの中に建物の基礎が各所に見えます。 ※なぜか、はてなでは縦になりません はてな?宮城県南三陸町、中世の山城「新井田館跡」 - 敵の侵入を防ぐための大型の堀や土塁など大規模な土木工事の形跡が発見される│The Current of the Times (TCT WachDogs) ニュースと情報 中世山城の全面発掘(南三陸町新井田館跡発掘調査現地説明会) ( アニメーション ) - 虎箱! - Yahoo…

歌津田の浦三社─南三陸から

東日本大震災の津波「波来の地」碑と昭和八年大海嘯記念碑から海を見る。 下方の家屋の塀は津波でちぎれたまま 「波来の地」碑と昭和八年大海嘯記念碑「地震があったら津波の用心 津波と聞いたら高地へ」 左側は梶原館跡(南三陸町) 再建された八幡神社鳥居(立田神社の丘より) 「平地には、もう人は住めない」との地元の方の話 八幡神社 宮城県神社庁 || 神社検索 || 梶原館と一体の古社 八雲神社 願いが叶う石南三陸町から愛と死と希望をみつめて 昼食 キラキラいくら丼(さんさん商店街) …