災害 の検索結果:

できることから応援しよう─熊本・大分大地震関連情報

…| 一般社団法人RQ災害教育センター 熊本市立博物館からのお願いtogetter.com http://sharetube.jp/article/2219/ http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2753408.htmlnews.tbs.co.jpsiryo-net.jp九州大地震 - みんなどこか変わってるから大丈夫 www.huffingtonpost.jphttp://www3.nhk.or.jp/news/html/2…

初夢─「世界連邦」と震災ミュージアムの実現

(仙台榴岡天満宮の梅 2009)新年おめでとうございます。今年の初夢は「世界連邦と震災ミュージアム」です。 小さいころ21世紀になったら、「地球連邦」とか「世界連邦」ができて、戦争が無くなる(宇宙人と戦う地球防衛軍とかはありますが)という夢を描いておりましたが、結果はみごとに違う世界となりました。各国の軍事力は増大を続けています。 これは、私の「国家」幻想の魔力と欲望を特徴とする人間の本性が掛け合うという認識に至ってなかったからでしょう。 しかし、「世界連邦」という名前を付け…

入の沢遺跡「保存」へ・「火山灰から社会をよむ」・「葛西氏の興亡」展を観る─文化の日に

…健氏(群馬大学)の「災害考古学のゆくえ」 テーマは「あなたは災害にどう立ち向かいますか」 結論は、火山、地震、津波は防ぎようがないから、「なるべく安全な場所に住むこと」。 時代を超えて大事なのは「地域のコミュニケーション」を保つこと。 展示は、考古学的な手法による十和田・白頭山火山噴火と北東北の人々の動向を探る画期的な企画。10世紀の十和田火山の説明では「この噴火は、過去2000年間に日本国内で発生した噴火の中で最大級の規模であったとされています。大規模な火砕流が発生して周囲…

おすすめ企画展示─噴火と震災・復興を考古学する

…の噴火です。 しかし災害の全貌は未だに不明です。本展では考古学の視点からこの謎に迫ります。 「第1章「火山『十和田』と『白頭山』」 過去2000年間に起きた火山噴火の中で、国内最大級の「十和田」と世界最大級「白頭山」。その概要を解説します。 第2章「遺跡に残る噴火の爪痕」 北東北各地の遺跡に残る「十和田」と「白頭山」の爪痕。10世紀前半に刻まれたそのありさまをご覧ください。 第3章「火山灰から社会をよむ方法」 遺跡で見つかる火山灰から「災害」の様子をよみ、背後に社会を透かしみ…

関東・東北豪雨─災害列島に暮らすには

…オンラインニュース 災害列島日本 自衛隊などの命がけの救助活動に感謝。 東日本大震災発生から四年半、原発事故は今もむごい被害を与え続けている。さらに、今度の北関東・宮城豪雨 日本列島は、災害列島であり、何万年も人々は苦難に耐え、復興し、独自の日本文化を築いてきた。 さらなる防災減災技術立国をめざし、総合的な列島専守防衛こそが日本の生きる道と思う。 このたびの「有事」の海外派兵欲は原発輸出など経済成長至上主義という「欲望(むさぼり)」から必然的に産まれたものと考える。 今こそ、…

『富沢遺跡 東北の旧石器野営跡と湿地林環境』

…なったが、その新たな復元画は、読者の方々の創造に委ねることにしよう。」 (「あとがき」より) (細野修一復元原画展 2012)細野修一イラストレーション 仙台市 地底の森ミュージアム仙台市 地底の森ミュージアム 富沢遺跡・仙台の遺跡 ◎提言 世界的な大発見─2万年前のキャンプ跡と湿地林跡─を「史跡」に地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)といえぱ、「それでも生きる! 考古学からみる災害のあと」(2011年)が秀逸だった。ぜひ、パート2を(本日の河北新報を見て)◎注目記事

古代壁画─合戦原遺跡横穴墓1300年前の線刻画現地説明会(山元町)とその後

…災集団移転促進事業:災害公営住宅建設事業)の発掘調査現地説明会(2回目 山元町教育委員会 13時)に「黄泉の国」(よみのくに)?の壁画を見に行く。 横穴墓の入口からのぞく。数十秒、まるで日本に来た時のモナリザのよう ゆっくり見たかった...すごい暑さの中、県内外から近年にはない約450人もの見学者があったとのこと。関心と評価の高さをうかがわせる。 老若男女、地元の皆様、研究者の行列のできる現説なのでやむを得ない。 昨年から調査している合戦原横穴墓群は7-8世紀の豪族クラスの一…

暗雲・歴史から捉えた災害列島

…ろうと考えています。」(下記、保立氏ブログより)日本の国の形と地震史・火山史 - 保立道久の研究雑記 2015/7/19 東北学院大学/河北新報社主催 連携シンポジウム「復活と創造 東北の地域力⑦歴史から捉えた災害列島」(保立道久氏 基調講演)開催のご案内 - 東北学院大学災害ボランティアステーション 東北学院大学/河北新報社主催 連携シンポジウム「復活と創造 東北の地域力⑦歴史から捉えた災害列島」(保立道久氏 基調講演)開催報告 - 東北学院大学災害ボランティアステーション

古代国家形成期の実像を栗原市入の沢遺跡から解明と発信を+高尾山古墳保存・波伝谷に生きる人びと

…城内陸地震など幾多の災害を克服しながら、まちづくりを進める栗原市の活性化に寄与するものと考える。 道路建設と遺跡保存両立の英断を国土交通省に期待したい。」●日本考古学協会による要望書提出など最新の情報に基づく記事は下記をご覧ください。 入の沢遺跡の保存と活用に関する要望書(日本考古学協会)と歴史公園整備への提言 - 縁果翁記 入の沢遺跡で何が起きたか─栗原市文化会館9.21・22 - 縁果翁記 入の沢遺跡─南北文化のクロスロード─保存要望書(宮城県考古学会)と高尾山古墳 - …

入の沢遺跡─南北文化のクロスロード─保存要望書(宮城県考古学会)と提言+高尾山古墳

…内陸地震など度重なる災害を受けながらも、これらを克服したまちづくりを進めてきています。今回の遺跡保存に際してもジオパーク構想と連動した特色ある地域活性化の骨組みの一つとしてはどうでしょうか。全国の史跡運営の失敗例をみますと、こども野外ミュージアム、例えば目黒実さんのチルドレンズ・ミュージアム的要素があったほうがよいと思います。→感動創造研究所 | 感動発掘・発信インタビュー<br>『あなたのこころをうごかす、おしえてください』<br>-#01九州大学 目黒実さん- 栗駒山麓ジ…

宮城県考古学会─復興関係調査で拓かれた地域の歴史1古代国家形成期の地域社会・山元町

…る遺跡。 集団移転と災害公営住宅の建設事業に伴って事前の発掘調査が行われています。 発掘調査は山元町教育委員会によるものですが、調査には宮城県からの応援職員のほか、山形県・岐阜県・新潟県・奈良県・福井県から派遣された応援職員も参加しています。現地説明会はあいにくの雨の中行われましたが、200人近い多くの人びとが集まりました。」 合戦原遺跡現地説明会(宮城県山元町) ( 歴史 ) - 虎箱! - Yahoo!ブログ 調査成果報告2「山元町熊の作遺跡と亘理郡南部の遺跡群」(宮城県…

きたかみ春祭り2─大室南部神楽・伊達の黒船太鼓・ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

…二分される悲しい事態になりつつあるけれども、「あの日」から何人も戦争を望まず、平和を70年保ち、度重なる災害も乗り越えてきた。国論を二分して、憎しみ合えば、戦争の火だねやISのテロが近づいてくることに、気づいてほしい。 今は、東日本大震災復興を成し遂げつつ、ネパールなどの大震災や日本列島の火山噴火の危機など、防災・災害対処に世界中と連携し、日本の知恵を結集することこそ最優先の課題です。 こどもたちに美しく、豊かな風土を残したい。 ネパール大地震緊急支援 | 国連UNHCR協会

多賀城市八幡沖遺跡9次調査見学会─古代末期の大型建物

…る。 多賀城市宮内の災害公営住宅建設予定地 10~11世紀ころの倉庫群と考えられた掘立柱建物跡の説明 調査区略図(パネル) 海辺の湿地に張り出した立地 出土土器の説明 津波到達地点の「いのちの碑」「津波襲来の地」碑 墓石・記念碑・建築石材など | 志賀石材店ブログ:多賀城市 - livedoor Blog(ブログ) 八幡神社の西側が発掘調査地 調査成果(埋蔵文化財調査センターHPより) 「古代末頃とみられる建物跡や土壙を発見しました。特に土壙の1つからは、11世紀後葉頃(西暦…

災害ミュージアムを通した被災経験の語り継ぎと防災・減災(国連防災世界会議・仙台)

…連防災世界会議「世界災害語り継ぎネットワーク(TeLL-Net)フォーラム:災害ミュージアムを通した被災経験の語り継ぎと防災・減災」に行ってきました(一部のみの聴講でしたが)。各簡潔な発表の背景も知りたく、これらの先進事例を学ぶためのデータを集めてみました。少しでも災害文化醸成推進のお役にたてれば、幸いです。 (アチェ津波博物館発表) 東日本大震災の被害が大きかった東北地方沿岸部においても、今後、震災復興史編さん事業が本格的に開始されるとともに、「災害ミュージアム」が建設され…

国連防災世界会議─震災の経験と教訓・「災害史とミュージアム」を読み解くために

…係のお勧めと津波など災害史を読み解くためのデータを集めてみました。今後の「防災」の参考になれば幸いです。 東日本大震災とミュージアム展(せんだいメディアテーク2F) [主催] 仙台・宮城ミュージアムアライアンス実行委員会 「仙台・宮城ミュージアムアライアンス(SMMA)では、東日本大震災におけるミュージアムの被災状況と復旧プロセスに関する調査を行ってきた。平成24年度に実施した調査をもとに、その後の追跡調査や各館による報告資料を通してみえてきた、ミュージアムの被災と、復旧・復…

大震災4年─蒲生・荒浜・五柱神社・閖上・山元町合戦原遺跡

…災集団移転促進事業・災害公営住宅建設事業に伴う発掘調査 7世紀後半~8世紀の横穴墓群50基、古代の製鉄炉1基・木炭窯7基などが発見されました。 雨の中200人余の見学者。 各地(奈良・福井・岐阜・新潟・山形県・宮城県)から調査員が応援に来てくれています(調査は来年度も続行とのこと)。 (google earth) 累々たる横穴状の墓が、横穴墓群─古代の墓でした。 関東から派遣された?古代人集団の奥津城か 家型の天井に整形されているものもあります。 墓道の残りがとてもいいです。…

初夢─「災害文化」立国の勧め

…・洪水・土石流等自然災害で多くの人命が失われるようになりました。 そして、世界は、頻発する紛争・テロ、伝染病の脅威にさらされています。 このような時勢に経済成長至上主義では、やがて日本は、(世界も)悲惨な運命に陥るのではないかとの危惧をひしひしと感じるようになりました。 「災害文化」(災害の前・今・後の各段階に最高度に備えることを基調とした文化)というキーワードに集約したいのですが、例えば、福島原発は貞観地震津波(869年)の状況をしっかり立地・設備に反映させれば防げた可能性…

女川町崎山遺跡現地説明会─奈良時代集落で塩作り

…の足跡Ⅱ 震災遺構(災害遺構)は生々しい防災情報(教育)として後世に残すべきだったと思う。 「女川町」の検索結果 - JIEN記 東日本大震災における震災遺構 七十七銀行跡地で合掌 語り継ぐ想い|㈱七十七銀行女川支店被災者家族会 【3.11】七十七銀行女川支店の津波被害訴訟、人命よりも経済合理性が優先されるのか? 一般社団法人 全優石が宮城県女川町に「津波記憶石」建立 「津波記憶石」の設置された女川町地域医療センター(旧女川町立病院)のようす (※画像クリック拡大) お昼は「…

宮城県遺跡調査成果発表会─入の沢・熊の作・御駒堂遺跡ほか─東北古代史の発見

…において環太平洋津波災害痕跡シンポが開催されることになったとアピールがあった。宮城県考古学会が準備中と本日、表明された(仮称)『災害の考古学─震災を越えて』の作成刊行とともに有意義な企画。 (グーグルアース ななめに走る土の帯が新常磐線予定地) (グーグルアース 調査地は中央の道路敷 長い丘陵全体がほぼ御駒堂遺跡)4世紀から8世紀 古墳時代、飛鳥時代、奈良時代 は政権の力の増大に伴い、列島全体が大きく動き 「東北の苦難とそれに対するさまざまな生き方(様)の歴史の原点」のような…

入谷八幡神社打囃子・新井田館跡─震災3年半の南三陸

3.11の東日本震災発生から三年半 南三陸の山あいの入谷にてしだい 豊作の田んぼの上に入谷八幡の御山 まずは、参拝 入谷八幡神社─義経石清水八幡宮勧請伝承 「白鳳年間の創祀と伝ふ文治4年(1188年)源義経奥州に下りし時祈願成就の御礼として醍醐山鳳恩院に御使者を遣わし、男山八幡宮(京都の石清水八幡宮)より空海御自筆の額一面、金の幣三本、平安城の刀一振りを奉り長継坊萬福という僧御下向勧請したもので当時天正年中兵の為め焼失を恐れ辰巳の方に小社を建て百姓阿部と言ふもの一時移し奉り今…

「日本発掘」の顔─東北歴史博物館

…館HPより) ●テーマ展示室での地域展「復興と創造のために─宮城の復興 発掘調査─」は特別展会場と離れているせいか観客が少なく残念。山元町・岩沼市・仙台市・多賀城市・石巻市・気仙沼市の復興や災害市に関わる郷土の歴史発掘の精華であり、ぜひご覧ください(7月13日まで)。・付記 新井田館跡の3D表示を期待しておりましたが旗とパネルのみで残念でした。新井田館跡発掘調査現地説明会─南三陸から - 縁果翁記(本ブログの掲載は東北歴史博物館の了解を得ております。ご協力を感謝いたします。)

南三陸町水戸辺川流域の「慶長大津波」伝承地踏査─『戸倉路のつたえ-語り継ぐ津波の道標-』に寄せて

…ないと思い、東北大学災害科学国際研究所に情報提供いたしました。そして、6月15日には、西條氏よりその伝承のメモと水戸辺川流域の津波伝承地の手書きの地図をいただくとともに、氏の案内で水戸辺川流域(戸倉)を歩きました。東日本大震災津波の遡上域を越えてさらに奥まで津波が遡上しているという伝承に驚きました。 (2013.6.15 津波で家屋のほとんどが流出した戸倉在郷から水戸辺川上流を望む) (赤色が東日本大震災津波浸水域・中央が水戸辺川流域)東日本大震災津波詳細地図〈上巻〉青森・岩…

宮城県考古学会研究発表会─東日本大震災と考古学

…を発表いただき、過去の自然災害について考古学的アプローチから検討する。 特集2は、『被災3年を経た文化財をめぐる現状と課題』と題し、岩手・宮城・福島の被災3県それぞれが抱える現状を発表いただき、今後の復興に向けた課題を共有する。 また研究発表会を通じ、研究者・一般の別なく、人々の情報交流の活性化を図り、文化財に関する認識を深めるための一助とする」(宮城県考古学会HPより) 宮城県考古学会-総会・研究発表会考古学的分析および美術品の鑑定・保存に使用される、ポータブル蛍光X線分析

大震災三年─南三陸・仙台・名取をめぐって─震災考

…,今村文彦,東北大学災害科学国際研究所出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2013/05/28メディア: 単行本この商品を含むブログを見る (2012.3南三陸町戸倉神社から)自然・歴史文化遺産を活用した復興まちづくりを望む 被災地に通う生活の終わりに─今後に向けて─ 震災発生から三年の今こそ、被災地を歩き、そして赤坂氏の『震災考』を読むことをお勧めします。 あれいらい、復興とその工事の加速を願っていた私ですが、 今、そこには、「あれっー 海が見えない 緑が..」..これで…

西條實短歌集 ─大震災を越えて南三陸に生きる

…さを実感し、東北大学災害科学国際研究所などに西條さんを紹介させていただきました。 西條さんは、東日本大震災津波により、お身内の方を四人亡くされて、さぞや、沈痛の日々だったと思います。そして昨年から思い出の故郷と人々を詠まれた短歌を次々と作られるようになりました。そこには、南三陸の神仏が息づく風土を大事にする氏の生き方をうかがうことができます。 そこで、詠まれた地の現状の写真と重ねることにより、より、南三陸に住み、大津波の災禍を越えて生き抜いた氏の人生を表現できるのではないかと…

震災2年8か月─南三陸町防災対策庁舎の今

…1 大江健三郎 『晩年様式集』 「(前略) 私のなかで 母親の言葉が、 はじめて 謎でなくなる。 小さなものらに、老人は答えたい、 私は生きなおすことができない。しかし 私らは生きなおすことができる。」Amazon.co.jp: 晩年様式集 イン・レイト・スタイル: 大江 健三郎: 本2 『市史せんだいvol.23 特集 歴史地震・津波を再考察する』 「・研究時評 慶長地震の評価をめぐって 菅野正道 ・論文 貞観十一年陸奥国震災記事と自然災害痕跡研究 斎野裕彦」が注目される。

「講座東北の歴史 第6巻 生と死」刊行に寄せて─南三陸からの提言

…立派な縄文土器が載っていても論文はありません。震災後、相原淳一氏などの研究により、縄文時代の画期 縄文から弥生の過渡期に巨大地震・津波が関わる可能性が指摘されています。 相原淳一「縄文時代の自然災害」2012宮城県における歴史地震・津波災害─宮城県考古学会 - JIEN記 震災以後生まれた様々な視点を活かして「東北」を時代(旧石器時代から現代)と地域そして「技術」、人の動きなどから探究すれば新たな「東北史」が語られてくるのではないでしょうか(130926 追記・病み上がり)。

お愛宕さん─震災2年4ヶ月─志津川

…えようとしないことでしょう。」(玄侑宗久) 「「だから、もう一度、原発を動かして、そのお金を使って復興しようよ」という、そういった悪魔の囁ききの声がはじまるに違いない。だからこそ国のレベルの議論とは関わりなく福島がきちんと原発にお世話にならずに生きていくという、そういう意思表示をするべきだと思っていた。福島では、実際に(中略)脱原発宣言をしている。」(赤坂憲雄)◎おすすめ動画─企画展 「それでも生きる! 考古学からみる災害のあと」 遅ればせの紹介ですが、有意義な企画展でした。

荒井広瀬遺跡(仙台市)─2000年前の地震地割れ痕跡

…催する荒井広瀬遺跡では、これまで分からなかった地震痕跡(地割れ跡)に加え、それを覆う津波痕跡(津波堆積物:砂)が同時に確認されました。 これにより、この時の地震が、日本海溝周辺で発生したものであることが明らかとなりました。さらに、二つの痕跡からは、弥生時代の土器や石器が見つかっており、過去の災害痕跡と人間の生活を示す遺物を同時に確認できたことは、地域における災害の歴史を広く共有し、今後の防災・減災に役立てる上でも、極めて重要な成果であると考えられます。」 遺跡見学会のお知らせ